今度はバークレーに行ってみる。バークレーといえばいわずと知れたUNIXのBSD(Berkeley Software Distribusion)発祥の大学、University of California, Berkeley(UCB)がある。場所はサンフランシスコからベイブリッジを渡ってすぐのところだ。サンフランシスコからベイブリッジのあたりは多少渋滞。
昼過ぎに着いたので、早速正門前のあやしい中華料理屋で4ドルの麻婆豆腐を食べる。UCBの学生も食べてるのだろうか?校内に入ってみると意外にも桜が咲いている。そういえば、今年は花見にいけないなーと思いつつ桜の花に見入る。
大学といっても土曜なので学生もおらずちらほらと観光客がいるぐらいだ。地球の歩き方をみて名所?のセイザータワーに行ってみる。本当は上に上れるらしいが入り口には休みとありちょっとがっかり。
その後、大学のすぐそばにあるバークレーのメインストリートのテレグラフアベニューあたりをぶらぶらする。ここは雑然としており道端では日本でもよくあるアクセサリー屋(これは多国籍企業なのでは?)や占い、Tシャツ屋などがぎっしりとならんでおり、その奥ではいろいろな店がある。歩いているとついにいくつかのコピー屋を発見した。UCBの学生も試験前に友達にノートを借りて縮小コピーをしたりするのだろうか?また学生用の教科書を売っている店に入ってみるとアンチョコらしきものも売っている。思わずここでUCBのTシャツなどを買ってみる。
感想としてはスタンフォードが重厚でアカデミックな感じなのに比べて、UCBの方が雑然としてていかにもハッカー文化発祥の地という感じがしました。
天気予報では雨だったがホテルにいてもやることがないし少し晴れてきたので、週末にモントレーに出発。モントレーは小説家スタインベックで有名な観光地でSan Joseからは車で2時間ぐらい。が、やはり行っている途中から雨が降り出し、山道を走っているとバケツをひっくり返したような雨が降り始める。くねくねとした山道を走っていると突然、流れが止まって渋滞発生。なんとちょっと前で接触事故があり道には車の部品が散乱していた。その直後、周りの車も含めていっせいに安全運転になる。ほどなくモントレーに到着して港をぶらぶらする。なるほど観光地になるだけあっていい感じにひなびて味のある港町だ。マリーナにぎっしりととまったヨットがなかなかいい感じ。さっそく先日買ったデジカメで写真を撮る。
持ってきた「地球の歩き方」には名物のクラムチャウダーを食べようとあるので、そこいらじゅうにあるクラムチャウダー屋(?)でひとつ頼んで食べてみる。確かになかなかうまいが、べつにここでなくても作れると思う。前から思っているのだが名物というのは不思議なもので名物と聞くと食べずに過ごすとなんだか損した気がするのでついつい食べてしまう。今まで名物で「こりゃ、うまい!」と思ったものはあまりない。”名物にうまいものなし”とはよく言ったものだ。
次は有名な17マイルドライブに行く。半島を走るドライブコースなのだがアメリカでは珍しい有料道路だ。レンタカー屋でもらった地図をたよりにうろうろしてやっと入り口のパフシフィック・グローブ・ゲートを見つけてスタート。関係ないが料金を払おうとしたら財布を見たら10ドルしかなかった。スタートするとすぐに美しい景色が現れる。
さすがに有名な場所だけあって美しい。日本のようにレストランやホテルの看板など人工的なものが一切ないところが潔くていいと思う。すぐに海に出たので車をおいて外に出てみると、波打ち際が真っ白になるほどの激しい波が打ちつけられておりいかにも太平洋という感じがする。
その後、崖の上に一本だけ立っているローン・サイプレスや全米屈指の名門ゴルフコースのぺブルビーチのクラブハウスなどを見る。まあ、なんというか素朴な一日でした。
ケータイWATCHのWILLCOM、月額2,900円の音声定額サービスを5月1日からの記事にあるようにとうとう定額サービスが始まりました。このことは単に新しいサービスが始まっただけでなく、インターネット接続がモデムやISDN接続で従量課金だったのがブロードバンドのブームで一気に固定料金になったのと同じくらい、携帯電話ビジネスにおいて大きなターニング・ポイントだと思う。KDDIグループから離れて制約のなくなったWILLCOMには是非ともがんばって欲しい。
それにしてもなぜこんなにもPHSに惹きつけられるのでしょうか?私はすぐれた技術であるにもかかわらず何故か普及していないからでは?と思っている。確かに最初のマーケティングに失敗して「つながりにくい」とか「すぐに切れる」というイメージのせいで苦しんだかもしれないが、今はすばらしいサービスを提供していると思し普及しないのが全く不思議である。もちろん、かつてezナビウォークにつられてauにしてしまったけど新機種が出たらまたH”にしようと決意しました。
詳しいことは、逆転戦略 ウィルコム-「弱み」を「強み」に変える意志の経営
や蘇るPHS事業 水を得たWILLCOMの本気にあるのでぜひ一度読んでみてください。
かなり高い確率で今年はH”がブレークしますよ!!
こっちには、10倍ズーム付きデジカメのPowerShot S1 ISというちょっと大きいデジカメを持ってきているのだが、やはり小型のデジカメも欲しくなる。昔買ったIXY Digital 200aというのもあるのだが、フランスでCFカードのフタが折れてしまい、テープを貼って使っている状態で持ってきていない。自分へのおみやげにデジカメでも買うかと思う。
こっちのアマゾンで値段チェックをして近所の電気屋で買おうと思ってアマゾンに行くといきなり、IXYが60%ディスカウントで159$で売ってる。スペックで見たところ日本のIXY Digital 30と思われる。こっちではIXYブランドではなくPowerShotブランドという以外は同じようだ。少々、型落ちだが電気屋ではコンパクトデジカメは300$くらいするので結局そのままホテルを送り先にして購入。ついでに1GのSDカードも買ってしまいました。メニューで日本語を選ぶとまったく前のIXYと同じ感じになりいい感じです。
ここ最近、こっちに持ってきているノートの動作が妙に緩慢になっており、いわゆるもっさり状態で疑問に思っていたが高負荷時にマウスカーソルが動かなくなることからもしかしてと思って確認したら案の上、ハードディスクの転送モードがPIOという前時代のものになっていた。
もちろん、転送モードの設定は「DMA (利用可能な場合)」となっているが、何故かPIOにしかならない。BIOSの設定を見直したり、BIOS、ドライバーを最新にしてみても直らない。原因を気付いてしまったいまとなってはどうしても直したい。
粘り強くGoogleで検索していたら、HDD速度低下のすごい理由というBLOGを見つける。結局、ハードディスクのエラーが一定回数出るとWindowsが転送モードを下げてしまうとのこと。しかも再起動しても設定は保持される。イベントビューアーで見ると確かに1ヶ月ほど前に何度かdiskのエラーが発生している。
原因は分かったが、問題はどうやって直すかだ。起動ドライブでなければ一度取り外せばリセットされるとあるが起動ドライブなのでこの方法はもちろん使えない。MasterDeviceTimingModeというレジストリ変数によって強制的に転送モードを指定できるとあるが、失敗して出張先で起動しなくなったらもはや直す手段がないので怖くて出来ない。
その後、MasterDeviceTimingModeをキーワードにGoogleを引くとこのページでMasterDeviceTimingModeAllowedをffffffffに設定して、その後Windowsで転送モードの設定をを一度PIOにしてDMAに戻すと直るとのことで、超緊張しながらやってみる。すると直りました。その後、イベントビューアーにもdiskのエラーもなく、再び快適に戻って幸せ一杯です!!
でも、こんなの普通の人絶対に気付かないよ!!
日曜日はサンフランシスコ。前にも行ったし車で1時間ぐらいなので割と気軽に行ける。フリーウェイ280を降りてすぐにあったPublic Parking(普通の駐車場のことをこういうようだ)に車を停める。1時間2ドルと高めだが日本の駐車場はもっと高いので気にしない。
ちょうど昼なのでとなりにあるメキシコ料理のChevysに入り巨大サラダを食べながら初めて地球の歩き方を熟読し、とりあえずフィッシャーマンズワーフに行ってみることにする。食後、近くにあるヤーバ・ブエナ・ガーデンで芝生に寝転がってぼーっとする。ここは世界中の建築家やアーティストの協力で出来た公園でまったくビューティフルの一言に尽きる。
その後、ぶらぶらとあるいてるとCompUSAがあったので自動的に入ってしまう。こっちに来て初めてiShuffleが売ってるのを見つけて即ゲット。512MBにしときました。99ドルなり。さらにデパートでポロシャツを買ったりしてるうちにフィッシャーマンズワーフまで行くのはちょっと面倒になってきた。
が、何とか元気を出してミュニメトロという路面電車にのって行く。この路面電車、窓が低くて立つと外が何も見えない。かがめば見れるが前はなぜか超セクシーなドレスを着たお姉さんでそれもならずひたすら目的地に着くのを待つ。フィッシャーマンズワーフまで我慢する予定だったが我慢しきれなくなって途中で降りるとそこはPIER39というところで完全に観光地だった。
辺りは観光客でごったがえしていた。そこは埠頭になっており埠頭の先端では遠くに有名なアルカトラズ刑務所が見える。機会があればアルカトラズのツアーにも行ってみたいが時間もないのでパス。とはいえずいぶんと前に見たクリント・イーストウッド主演の名作「アルカトラズからの脱出」を思い出す。
フィッシャーマンズワーフを目指して西に歩いていったのだがなにしろ夕暮れ時のため日差しがきつく目が痛い。また、海辺なのでかなり風がきつく薄着で着てしまった事をちょっと後悔。抜けるような青空にはたくさんのカモメがいかにも港といった旅情がある。辺りでは名物のイカや海老のフライを売っており皆歩きながら食べたり道端で食べたりしている。興味はあったが量が半端じゃないのでスルー。
来るときに載った路面電車はもうこりごりなので帰りは有名なケーブルカーで帰ることに。が、なにげにチケットを買って列にならんだものの前を見ると長蛇の列になっており、40分ぐらいかかるとのこと。観念して待つ。折り返し地点では人力で向きを反転させる光景などを見て暇をつぶす。
サンフランシスコといえば坂の町で有名だが、半端じゃなく急な坂ばかりだった。130年前からあるというケーブルカーはとてもプリミティブで下り坂では車掌さんが力いっぱいレバーを引いて停める。おもわずマンガでお約束のポキッとブレーキレバーが折れるところを想像する。駐車場のところまで帰ってくるとすっかり日が暮れていたが1時間もしないうちにホテルに着き、明日からまた会社かと思うとなんともいえない不思議な気分になりました。
せっかくなので週末は観光に。今週からもう一人同僚のTさんが来ているので昼過ぎに手ごろなところということでスタンフォード大学に行くことにする。Tさんは到着して真っ先にMicrosoftのStreets & TripsのGPS Locater付きパッケージを買っているのでそれを使ってナビゲートしてもらう。GPSだけのわりには妙に正確だ。GPSの精度は軍事上の理由からわざと精度を落としているがさすがにアメリカ国内では完璧なのか?(まあ、道が日本ほど複雑でないというのもあると思うが)
その前に寄り道してシリコンバレー発祥の地に行く。完璧に住宅街の真っ只中だったが、ナビで場所についてもそれらしきものは見当たらない。が、記念碑は改築中の家の中にあった。かろうじて記念碑は金網の向こうに見えるようになっている。
そこに置いてあったパンフレットによるとここはかつて1939年にHPの創始者HewletさんとPackardさんがオーディオの発信機を作り始めたのがきっかけで1989年にシリコンバレー発祥の地として認定されHPの資産となったそうだ。現在は改築中とのこと。
さて次は目的地のスタンフォード大学に。気のせいかもしれないが近くに行くと閑静でそれとなくアカデミックな雰囲気が漂ってくる。休日ということもあって中の公園では近所の人たちがバレーボールをしていたり、なぜか結婚式をしていて教会の前でリムジンが待機しています。
大学の中心にある教会を見たあとは、フーバータワーに登って見る。上から見渡してみるとスタジアムや講義等やアパートなどがあたり一面に広がり大きな大学ということがよく分かる。世界でトップクラスの大学だからだろうか、日本の大学によく見られる雀荘、コピー屋、ゲーセンなどは見られなかった。
ひとしきり学内をぶらぶらしたあと最後は生協?でマグカップなどを買ってかえりました。しかしデザインだけで選んだのでホテルに戻ってよく見てみると「STANFORD GRADUATE SCHOOL OF BUSINESS」(スタンフォード・ビジネス大学院、つまりMBA)とある。むーん、せめて普通のにしたかったぞ。
先週からカルフォルニア集のSan Joseと言う町、いわゆるシリコンバレーに来ています。出張で2ヶ月近くいる予定なんだけどある面でめちゃくちゃ驚いている日々。驚いているのは信じられないくらい日本のものが手に入ることである。
こっちの時間で朝に空港に到着してそのままレンタカーで会社に出社し夕方なんとかホテルに到着してよっこらよっこらとスーツケースなどをフロントに運んでいると「いらっしゃいませ」というフロントの人の声。「日本語が話せるのですか?」と聞くと日本人だった(国籍はアメリカかもしれないが)。そのまま奨められるままホテルの会員になる(もちろん日本語で)。食堂に行くとチキン照り焼きがあったり、朝ごはんに日本食コーナーがありご飯と味噌汁が食べれたりした。
これだけならまだしも次の日にリンガーハットを発見して入ってみると、焼きそばとかカレーとか日本にないメニューもあるもののチャンポンの味は普通だった。へえ珍しいのもあるなとGoogleで調べてみると日本では食べれない吉野屋もあることを発見!!もちろん翌日行く。牛丼だけで3$ぐらいだから日本と同じくらいか。味は微妙に違うような気がするが、なにしろ1年以上食べてないので分からない。
極めつけはホテルのすぐ近くにあるショッピングエリアだ(このページ参考)。まずは本屋の紀伊国屋に行く。笑いました。品揃えといいレイアウトといいよくある郊外の本屋とまったく同じだ。店内だけ見たら絶対に海外の本屋とは気付く人はいないだろう。違いといえばアメリカで定住するとかいうコーナーがあることくらいか。もちろん全部日本語の本です。一冊本を買ったが、店員の対応も「10ドルおあずかりします。2ドル55セントのお返しになります。どうもありがとうございました。」という感じで日本とまったく同じ。違うのは円でなくドルであることだけ。
次は日本食スーパーのMitsuwaに行く。ここもレイアウトが若干日本ほど凝ってないところ意外はまったく日本のスーパーと同じ感じだ。おにぎりせんべいなどを買う。「お買い得品!!2つで3$」などのポップももちろん全部日本語。
他にも秋葉原のパソコンショップUser’s SideのSan Jose支店では、日本語Windowsの入ったノートパソコンやアメリカの大きい掃除機が嫌という人のためのNationalの掃除機や英語のPS2が嫌な人のために日本語PS2など売っている。
さらに日本でもめったにみない徳島ラーメンを出す店「どへんこつ」もある。ここもよくある日本のラーメン屋といった感じで入り口には週刊現代やマンガがおいてあったりする。注文などももちろん日本語だ。
前回San Joseに来た時は、「海外にいる!」という緊張感がありましたが、今回はすっかりなくなってしまいました…。英語はあいかわず全然なんだけど。グローバリゼーションとインターネットの普及のせいで世界は急激に縮まっているように思います。
かなり前(2月)の話だが大学時代のサークル関係の友達と長野県の大町へスキーに行く。年に一度のこの素敵なイベントはかれこれ10年くらい続いているが、次のルールがあった。
1. 場所は長野で金曜日の未明に出発して、土曜日の朝に関西組と関東組が合流
2. スキーは土曜日のみで日曜日は昼飯(主に蕎麦)を食べて帰るだけ
3. 試験が終わった後なので春スキー(って、もうみんな社会人だが…)
が、毎年幹事をしているK氏が仕事の都合で幹事が出来ないとのことで急遽交代したT氏により今年は2月になってしまった。というわけでルールは1と2のみ。もちろんみんな試験などないので(まあ、学生はいるが)、2月でも全然かまわない。
だが最もスキー客が多そうな2月の連休だったのでレンタカーのキャリア、スタッドレス付きのレガシィがとれず。レンタカー屋のお姉さんに食い下がってなんとか乗用車、チェーン付をキープ。が、このチェーンであとあと問題になる…。
つつがなく集合してスキー場に。ひと滑りもしていないににふもとのリフト乗り場の食堂が空いてるので昼食となり、もはや誰からもスキーに対するパッションが感じられない。んでもってビールと牛丼を食べてゆっくりした後出かけようとすると私のスキーが忽然と消えていた。私のスキーは短いファンスキーと呼ばれるものだが、代わりにぼろいやつが置いてあった。若干デザインが似ていたがどう考えても間違えそうにもない。明らかに交換されたのだろうと思いなくなくレンタルして滑る。
帰るときになってもやはりぼろいファンスキーがあるので、仕方なく見ているとなんとレンタルということが判明!近くだったのでレンタル店に持っていくとなんと私のファンスキーががあるではないか!!なんでもレンタル屋の人によると犯人は間違えて一日滑ってそのまま返却しに来て店の人に指摘されて初めて間違えたことに気付いたらしい。サイズも全然違うしまちがえるかなぁ?とぶつぶつ思いつつそのまま去る。
さて帰りはいっそう冷えてて危険な雪道を下る。来るときは気合でチェーン無しできたものの帰りは下りだしやばいのでは?という話になる。実家のゴルフを借りてきているT氏はクイックにチェーンを装着。レンタルの関東組はやる気なく「む、このタイヤなんだかスタッドレスに見えてきた!」などと訳の分からないことを言ってノーチェーンで出発。結果は、ABSが作動することすらなく全然大丈夫でした。
ところで例年なら学生からの習慣で幹事のK氏がゲレンデサイドのペンションなどを取るのだが今年の幹事のT氏は少しはなれた場所にあるしなびた温泉をチョイス。当然ながら値段があまり変わらないのにグレードが大幅にアップするので皆、心の中で戻れない一線を越えたことを確認する。
もちろん翌日はもちろんスキー無しである。前夜の仲居さんの「明日は晴れるといいですね。」とか朝の「今日はいい天気でよかったですね。」の発言に皆苦笑い。チェックアウトの10時ぎりぎりまでいて普通の服で出て行く我々の姿を見たら旅館の人も悟ったであろう。
その後、例年のようにコンビニで車を停めノートパソコンで「長野 蕎麦 うまい」などとサーチして地元のうまい蕎麦屋に行く。うーん、旨い!
そんでもって去年もいった日帰り温泉に行って解散。多分、来年も温泉宿ですな。それ以前にスキー旅行でなく温泉旅行になっている可能性もあるが…。