三日目の朝は晴れていた。なぜか民宿の朝ごはんはは早い。確か8時には食べ終わっていた。食後にダイビングに備えてデジカメのハウジングにシリコングリスを慎重に塗っているとR氏から島にある山に景色を見に行こうとの誘い。R氏は何度も通っているだけあって即座に携帯でマイクロバスをチャーターする。山頂からの景色は当然ながら回りは360度全部海なわけでとても美しい。すさんだ心がすこし洗われる。
ダイビングは7年も前にライセンスをとったのにもかかわらずまだ10本の私はいつも「これどうやってつけるんでしたっけ。」状態。穴場的な沖縄の離島に来るだけあって他の人はみんな慣れた感じで素人感ゼロである。しかも直前になってR氏からボートから海に入るのはバックロール・エントリーであることを告げられる。前にやった唯一のボートダイブはジャイアントスイング・エントリーといってまあぶっちゃけえいって飛び込むだけなのだが、バックロール・エントリーといったら重いタンクを背負ってボートのふちに腰掛けて後ろ向きに回転しながらはいるアレである。玄人向けのショップだけあってバックロール・エントリーのやり方はおろかバックロール・エントリーで入ることさえ告げられない。常識なのだろうか?
が、バックロール・エントリーはやってみたらなんてことはなかった。多分一番大切なのは下に人がいないのを確認することだろう。で、海底にはいろんな魚がいて懸命にデジカメで動画を撮る。私のはCanonのPowerShot S1 ISなのだがこいつは素晴らしいことにVGA30フレームの動画がCFの容量の続くかぎり無制限でとれる。しかし、やっぱりライトがないと色が青っぽくなっていまいちなことを再認識。次はライトを持ってきたいなー。ダイビング機材をなにも持っていない私は最低限の機材を買うのが先なのだが。
夕方になっても晴れているので予定通りみんなで夕日が沈むのを見に行く。よく本などでアフリカの太陽を見て私はあのときに人生観が変わったなどと書いてあるのを見る。この綺麗な座間味の夕焼けを見て人生観を変えたい私は期待が膨らむ。しかし一口に夕日と言ってもずっと見ていると次々と色や雰囲気がめまぐるしく変化しいろいろな美しさを見せることに気付く。その中でも下のはお気に入りの一枚っす。
やがてオリオンビールで乾杯してると辺りは暗くなり帰ろうとしたら、乗ってきたバスのバッテリーが上がっていた。携帯の電波もほとんどはいらないので運転手のおじさんは山の頂上で携帯を持ち上げて通信。それにしても不謹慎なんだけど人間ってなんでこういうときちょっとワクワクするんでしょうか?やがて迎えに来た車でひっぱって押しがけして帰る。でもいくら綺麗な夕日でも人生観は変わりませんでした。
夜は、島の居酒屋でR氏の友人で船の渡しの船頭さんたちと飲む。観光客が魚に餌をあたえるのが良くないとか美しい自然も少しづつ壊れているとか地元の人ならではの話に耳を傾ける。いい感じで泡盛を飲んでいると話はやがて一緒に住んでいる父親が頑固で困っている話になり、さらに酒が進むとほとんど下ネタに。この変貌振りにはかなり私のツボにはまりこの人たちが大好きになってしまいました。最後は恒例のダイビングショップで1時ぐらいまで飲んで座間味最後の夜は終わってしまいました。
翌日起きると、どんよりと曇ってしとしとと雨が降っていた。はるばる沖縄まで来たのにである。今日は那覇から高速船に乗って目的地の座間味島に行く予定だ。高速船は予定通り運航するとのことなのでタクシーに分乗して港に向かう。車の中でも激しい雨が降り続いており運転手さんも「今日は一日雨だよー」と悲しいことを言っていた。それでも座間味島に船が着くころには曇ったままだがなんとか雨は上がっていた。島に着くと早速宿の「米子」に。「米子」は家族経営の素朴な民宿なのが詳しくはまた後ほど。天気が少しましになってきたので近所で食事をして水着に着替えて近くの無人島に行き、シュノーケリングに挑戦。以前から聞かされていたが本当に美しい海だった。日本にもこんなところがまだ残っているのかとひとしきり感動。
田舎が瀬戸内の町だったので子供のころからよく素潜りをしていたが初めてフィンをはいての素潜りは初めて。が、フィンをはくと面白いように潜れることが発覚。今までの素潜り人生はなんだったのだろうと思うとちょっとむなしくなる。それにしてもR氏のもぐりっぷりはすごくて水深15mぐらいまでぐいぐい潜っていく。よく息がもつと関心する。ちなみに下の写真はR氏がとってくれた私の素潜りショット。
またこの日のために急遽購入したデジカメの防水ハウジングを使って水中写真の撮影に挑戦。海の中はどうしても青い光しかとれないのでフラッシュをたいたりライトで照らさないかぎり青っぽくなってしまうのがちょっと残念。とはいえ虎の子のデジカメが水没しなかっただけよしとしよう。他の人が休憩するなか一人で海で遊んでいると、見知らぬ人に水中でシャッターを押したお礼に魚をよせるソーセージをもらう。言葉は通じないが「シャッターどうもです。これ余ったんでよかったらどうぞ」というのが分かった。多分、フランスでずっと言葉なしのコミュニケーションにはげんでいたせいだろう。そのもらったソーセージだが水中に放すと恐ろしいほどの魚が群れてくる。しかもうかうかしていると指をがぶりとかまれる。ヒッチコックの「鳥」を思い出さずにはいられない。この映画は見たことはないが…
そのうちまた雨が降ってきたのでまた船に乗って宿に戻る。シャワーを浴びてから早めの夕食。この宿、「米子」というネーミングに少し疑問をもっていたが夕食時にあっさり解明。というのも食事を運んでくれたおばちゃんが奥のおばあさんに向かって「米ちゃん味噌汁がひとつ足りないよ!!」というのを聞いたからである。そう、おばあさんの名前の米子をそのまま民宿名にしている。なんてストレートなんでしょう!!ちなみにここの夕食はおいしいのだけど量がしゃれにならないくらい多い。いつもメインディッシュが二つも三つもある。(例:トンカツ+煮魚+刺身)
夕食後は、フランスで買ってきたワインを近所のイタリアンに持ち込んでプチ宴会。出張先の地元のワインを買ってきたもののR氏に「これボルドーだよ」と指摘され少しがっかり。まあ美味しかったので良しとする。2次会は翌日お世話になるダイビングショップで飲む。なぜかこのダイビングショップは店の前の大きなテーブルで毎晩宴会をやっているようで、翌日お世話になるインストラクターと一緒に泡盛の水割りを頂く。こうして長かった座間味の最初の夜は更けて行きました。(つづく)
遅れた夏休みで沖縄旅行へ。以前一緒に仕事をしたプロジェクト・マネージャー(以降R氏と書きます)が座間味という島にほれ込んでおり一緒に連れて行ってもらうことに。とはいえ以前書いたように一人だけバーゲンチケットが取れなかったので一日早く沖縄に行き一人で遊ぶはめになってしまった。幹事のR氏に予約してもらったホテルは那覇の歓楽街の国際通りにあり夕方到着したので軽くぶらぶらして名物のソーキそばを食べて寝る。
が、時差ぼけで全然寝れない。とはいえ翌日もホテルでぐーたらするのももったいないので出かける。初めての沖縄なので南の方のひめゆりの塔に行くことにする。レンタカーを借りるのが面倒なのでバスで行こうとするがこれが失敗だった。バスは接続も悪く便も少ないので乗り換えポイントの糸満市のさびれた誰もいないバスターミナルに置き去りになってしまった。待ち構えていたタクシーの運転手が、最南端の岬、ひめゆりの塔、平和記念資料館、旧海軍の地下壕を回って那覇のホテルまで送ってくれて7,000円と持ちかけてきたので、バスにうんざりした私は即答でお願いする。
このときから運転手のおじさんとの小旅行になってしまった。年配の人なのでこっちは客とはいえそれなりに気を使う必要があったが、地元の人ならではのいろいろな情報を聞くことが出来た。このおじさん携帯が鳴るたびに誰かとしゃべるのだが方言のせいでちっとも何を言ってるのか分からない。それでも最近の若者は方言を話さなくなってきているので、このおじさんも奥さんと子供で使いわけてるそうだ。
おじさんに連れられて太平洋戦争で唯一の地上戦となった沖縄の惨状を次々と見るにつれてすっかり観光気分が無くなってしまった。しかし日本人として一度は訪れるべきだと思う。戦争が終わった後も大量の米軍基地が残されたままで、その規模と任務の大きさか基地がなくなることはないだろうと運転手さんが言っていたのが印象的だった。
昼飯を食べ損ねたので、オリオンビール(定番)を飲みながらタコライス(定番)を食べてると夕方になり他のメンバーも次々と到着。さっそく一行で定番の首里城に行く。首里城で石垣に登って係りのお姉さんに怒られた後は近くの郷土料理の店、「いろは庭」にて夜の宴会。すでに東京でも定番となりつつ豆腐ようを始めとしていろいろとめずらしい料理を食べるも、最後に出てきた海蛇のスープのインパクトが強烈で他のはすっかりかすんでしまった。恐る恐るかじってみた海蛇はなんというか”いりこ”のような味でした。健康にはいいんだろうけど…(つづく)
もはやかなり前の話ですが少しずつ…。
夜の8時55分に出発のパリ行きの飛行機だが、8時55分になっても搭乗の案内もない。シャルル・ド・ゴールでの乗り換え時間は1時間しかないのにである。つまり30分遅れたら乗換えが30分になるわけで…。それでもまんじりともせず待っているとやっと30分遅れで出発する。シャルル・ド・ゴール空港に到着するといつもは他の乗客が出てからまったりと飛行機を降りるのに今日はあらかじめスタンバイしておりマラソンのスタート状態。あせる気持ちを抑えつつ飛行機をでるとショックなことに搭乗口につながっておらず。まったりとバスが待機している。
脱力してタラップを降りているといくつかの都市名を書いたカードを持って立っている人がいてみるとその中にはTOKYOの文字も。もちろん自分を指差し「TOKYO, TOKYO」と連呼。それにしてももうちょっとましな英語が使えないものでしょうか?
乗換えがやばいほかの3人とともに案内のミニバンに乗ると国際線のターミナルにまっしぐら。その後、係員の誘導で手荷物検査、出国審査をそれぞれ専用のゲートにて瞬時にコンプリートして気づいたら日本人がいっぱいいる成田行きの搭乗口に到着。こんな大量の日本人を見たのは久しぶりなのでかなり感動しました。あと帰ってきた日に飲み会があったんだけど残念ながらこちらのフライトも遅れて行けませんでした。
土曜日に日本に帰る訳だが、ふと帰りのチケットを見ると現地のMontpellier発が20:55とある。あー!!ちゃんとチェックして変えてもらえばよかった。なにせーちゅうねん!!とはいえ昼ぐらいまでにはホテルはチェックアウトしないといけないので11時ぐらいに出発し、近場でまだ行っていない世界遺産の水道橋Pont Du Gard(ポン・デュ・ガール)に向かう。最後なのでのんびりと地道で南仏の田舎町のドライブを楽しむ。大体田舎道は並木道になっていて道の両側に立派な木がありなんだかトンネルの中を走っているような感じなわけだが、考えたらわざわざこんな田舎道の両側に大きな木を植えているわけで。恐るべしフランス人と思いながら走る。
途中、昼飯にショッピングモールに立ち寄りマックを食べようとして店に入ると案の定長蛇の列。しかも日本よりも明らかにトランザクション・レートが低い。マックなんて食べなくてもおいしいものいっぱいあるのになんであんなに人気あるんだろう?ともかく3分しか我慢できずにスーパーの中の軽食コーナーに直行してパンとピザとダイエット・コーラを食べる。ユーロとかなり安いのだが味もそれなりだなー。まぁ日本のスーパーの軽食コーナーもこんな感じだが。あ、でもみんなワインごくごくいってます。
程なく、Pond Du Gardに付く。ガイドブックには、
今から2000年以上も前に建造された巨大な石の橋。アヴィニョンとニームの間のガルドン川にかかっており、全長50kmあったといわれている。ユゼス付近の水源とニームの町の高度差はわずか17mといわれ、それに微妙な傾斜をつけるという驚異的な技術で水を流していた。
とあり、写真のキャプションにはニーム方向への傾斜は見た目には分からないとある。うーん、どうもニーム川に傾いている気がするけどなー。ていうか傾いてるよ。と思いつつ適当に写真をとる。川ではボート遊びをしていたり水遊びをしている子供がいてかなりのどかな感じ。
これで少し時間がつぶれたがまだ6時間ぐらいあるので、前に行けなかったカルフールに行く。今までフランス人は大型スーパーでかったりせず今でも昔ながらの小さな店で買っているのかと思っていたが、大きな間違いだったことに気づく。パソコンなどの電気製品、日曜工具なのどの生活用品、洋服、もちろん食品とすごい充実振りでしかも店は大賑わいでみんな大きなカートに入れてじゃんじゃん買ってました。ここではおみやげのワインを買う。しかしお土産袋は小さなトートだけなので2本が限界かなーと思っていると10ユーロですてきなキャスターバッグが売ってるじゃないですか!このキャスターバッグを買って強気になって3本購入。このキャスターバッグ10ユーロのわりになかなかよく出来ていて、これって今回の出張で一番有意義なお金の使い方の気がする。
というわけで空港のロビーでこの日記をしこしこ書いています。まあ、更新するのは日本に帰ってからなんだけど。さっき英語のアナウンスで〜delayed〜という単語が聞こえたので気になってカウンターに行ってみるとフランス語オンリーでなんか書いてある。まあ私の英語なんてこんなもんですわ。が、この後大変なことに…。