先週からカルフォルニア集のSan Joseと言う町、いわゆるシリコンバレーに来ています。出張で2ヶ月近くいる予定なんだけどある面でめちゃくちゃ驚いている日々。驚いているのは信じられないくらい日本のものが手に入ることである。
こっちの時間で朝に空港に到着してそのままレンタカーで会社に出社し夕方なんとかホテルに到着してよっこらよっこらとスーツケースなどをフロントに運んでいると「いらっしゃいませ」というフロントの人の声。「日本語が話せるのですか?」と聞くと日本人だった(国籍はアメリカかもしれないが)。そのまま奨められるままホテルの会員になる(もちろん日本語で)。食堂に行くとチキン照り焼きがあったり、朝ごはんに日本食コーナーがありご飯と味噌汁が食べれたりした。
これだけならまだしも次の日にリンガーハットを発見して入ってみると、焼きそばとかカレーとか日本にないメニューもあるもののチャンポンの味は普通だった。へえ珍しいのもあるなとGoogleで調べてみると日本では食べれない吉野屋もあることを発見!!もちろん翌日行く。牛丼だけで3$ぐらいだから日本と同じくらいか。味は微妙に違うような気がするが、なにしろ1年以上食べてないので分からない。
極めつけはホテルのすぐ近くにあるショッピングエリアだ(このページ参考)。まずは本屋の紀伊国屋に行く。笑いました。品揃えといいレイアウトといいよくある郊外の本屋とまったく同じだ。店内だけ見たら絶対に海外の本屋とは気付く人はいないだろう。違いといえばアメリカで定住するとかいうコーナーがあることくらいか。もちろん全部日本語の本です。一冊本を買ったが、店員の対応も「10ドルおあずかりします。2ドル55セントのお返しになります。どうもありがとうございました。」という感じで日本とまったく同じ。違うのは円でなくドルであることだけ。
次は日本食スーパーのMitsuwaに行く。ここもレイアウトが若干日本ほど凝ってないところ意外はまったく日本のスーパーと同じ感じだ。おにぎりせんべいなどを買う。「お買い得品!!2つで3$」などのポップももちろん全部日本語。
他にも秋葉原のパソコンショップUser’s SideのSan Jose支店では、日本語Windowsの入ったノートパソコンやアメリカの大きい掃除機が嫌という人のためのNationalの掃除機や英語のPS2が嫌な人のために日本語PS2など売っている。
さらに日本でもめったにみない徳島ラーメンを出す店「どへんこつ」もある。ここもよくある日本のラーメン屋といった感じで入り口には週刊現代やマンガがおいてあったりする。注文などももちろん日本語だ。
前回San Joseに来た時は、「海外にいる!」という緊張感がありましたが、今回はすっかりなくなってしまいました…。英語はあいかわず全然なんだけど。グローバリゼーションとインターネットの普及のせいで世界は急激に縮まっているように思います。
かなり前(2月)の話だが大学時代のサークル関係の友達と長野県の大町へスキーに行く。年に一度のこの素敵なイベントはかれこれ10年くらい続いているが、次のルールがあった。
1. 場所は長野で金曜日の未明に出発して、土曜日の朝に関西組と関東組が合流
2. スキーは土曜日のみで日曜日は昼飯(主に蕎麦)を食べて帰るだけ
3. 試験が終わった後なので春スキー(って、もうみんな社会人だが…)
が、毎年幹事をしているK氏が仕事の都合で幹事が出来ないとのことで急遽交代したT氏により今年は2月になってしまった。というわけでルールは1と2のみ。もちろんみんな試験などないので(まあ、学生はいるが)、2月でも全然かまわない。
だが最もスキー客が多そうな2月の連休だったのでレンタカーのキャリア、スタッドレス付きのレガシィがとれず。レンタカー屋のお姉さんに食い下がってなんとか乗用車、チェーン付をキープ。が、このチェーンであとあと問題になる…。
つつがなく集合してスキー場に。ひと滑りもしていないににふもとのリフト乗り場の食堂が空いてるので昼食となり、もはや誰からもスキーに対するパッションが感じられない。んでもってビールと牛丼を食べてゆっくりした後出かけようとすると私のスキーが忽然と消えていた。私のスキーは短いファンスキーと呼ばれるものだが、代わりにぼろいやつが置いてあった。若干デザインが似ていたがどう考えても間違えそうにもない。明らかに交換されたのだろうと思いなくなくレンタルして滑る。
帰るときになってもやはりぼろいファンスキーがあるので、仕方なく見ているとなんとレンタルということが判明!近くだったのでレンタル店に持っていくとなんと私のファンスキーががあるではないか!!なんでもレンタル屋の人によると犯人は間違えて一日滑ってそのまま返却しに来て店の人に指摘されて初めて間違えたことに気付いたらしい。サイズも全然違うしまちがえるかなぁ?とぶつぶつ思いつつそのまま去る。
さて帰りはいっそう冷えてて危険な雪道を下る。来るときは気合でチェーン無しできたものの帰りは下りだしやばいのでは?という話になる。実家のゴルフを借りてきているT氏はクイックにチェーンを装着。レンタルの関東組はやる気なく「む、このタイヤなんだかスタッドレスに見えてきた!」などと訳の分からないことを言ってノーチェーンで出発。結果は、ABSが作動することすらなく全然大丈夫でした。
ところで例年なら学生からの習慣で幹事のK氏がゲレンデサイドのペンションなどを取るのだが今年の幹事のT氏は少しはなれた場所にあるしなびた温泉をチョイス。当然ながら値段があまり変わらないのにグレードが大幅にアップするので皆、心の中で戻れない一線を越えたことを確認する。
もちろん翌日はもちろんスキー無しである。前夜の仲居さんの「明日は晴れるといいですね。」とか朝の「今日はいい天気でよかったですね。」の発言に皆苦笑い。チェックアウトの10時ぎりぎりまでいて普通の服で出て行く我々の姿を見たら旅館の人も悟ったであろう。
その後、例年のようにコンビニで車を停めノートパソコンで「長野 蕎麦 うまい」などとサーチして地元のうまい蕎麦屋に行く。うーん、旨い!
そんでもって去年もいった日帰り温泉に行って解散。多分、来年も温泉宿ですな。それ以前にスキー旅行でなく温泉旅行になっている可能性もあるが…。
1月もあれこれと忙しく働いていました。そんなある日、ひょんなことから会社の先輩がモーニング娘。(正確には違うんだけど)ファンということがわかりだめもとでお願いして連れて行ってもらうことに。
先輩が取ってくれたチケットには「Hello! Project 2005 Winter オールスターズ大乱舞 〜A HAPPY NEW POWER! 飯田圭織 卒業スペシャル」とあり横浜アリーナで行われるもので大勢のメンバーが出るとのこと。事前にメンバーのニックネームを憶えてくるように言われたものの忙しくて出来ず。当日、あわてて前提知識を教えてもらう。モーニング娘。は毎年新人が入ってくるかわりに卒業する人もいて体育会系のようなシステムになっており、その日は飯田圭織の卒業コンサートであること、またモーニング娘。の他にもピンで売れてる松浦亜弥などがいるとかいろいろと教わる。ちなみに私が唯一知っていて好きな安倍なつみは謹慎中で出ないとのことでちょっとがっかり。
会場の近くに車を停めて横浜アリーナに行くと、すでにそこはファンでにぎわっており独特の雰囲気をかもし出している。中でも目を引いたのは特攻服にお気に入りのメンバーの名前を大きく刺繍して生写真を大量に貼り付けて自作した服を着ている人達だ。ぜひとも写真を撮りたかったが小心者のため撮れず。
やがて開場となり中に入る。客層は、男女比はだいたい9:1で20代から30代の男がメインのようだ。しばらく待った後、コンサートが始まり大勢のの女の子が出て来る。が、だれがだれだか分からない。周りを見ると曲に合わせてかっこよく踊る人、ただ見ている人など十人十色だがみんなサイリウムという光る棒を振っている点では同じだ。私も先輩に準備してもらったサイリウムを音楽に合わせて振る。MCはほとんどなく間髪入れずにどんどん次の曲に行く。後半には”そうだ!We are ALIVE”や”ラブ・マシーン”など有名な曲で楽しめた。印象としてはコンサートというよりショーっていう感じ。
2時間ぐらいで終わり外に出てみると大勢の人が道端に自分のトレーディング・カードを広げてあちこちで臨時交換会が行われていた。全部で100種類くらいあるらしくお互いに交換しているようだ。他の趣味でもそうなのだがこういう場所には独特の雰囲気があり実にみんないい顔をしている。夜中の疲れたサラリーマンでいっぱいの電車とは全然違う。
せっかくなのでグッズ売り場にも連れて行ってもらう。特にお目当てのメンバーがいないので横浜アリーナ記念のTシャツとトレーディングカードを購入。
最後は、先輩の車で飯田圭織の卒業ソング「夢の中」を大ボリュームでかけながら横浜アリーナの前を通過してのフィナーレで締め。想像していた以上に楽しい一日でまた行ってみたいと思いました。
いい年して自宅の階段でころびうなる。私の家は何故か部屋の中に段差があり、3段ぐらいの階段がある。そこを酔っ払ってトトトと走っているとつるっところんでひざを階段の角にしこたま打ちつけ5センチくらい切ってしまった。
10分くらい部屋でうなる。うなりながら「悶絶」という言葉はまさにこのことだと思う。ひざの皮はあまり血管がないのかスパッと切った割には出血が少ない。手当てをしようと思ったが家にはバンドエイドぐらいしかなく薬局も開いている時間ではない。面倒なのでタオルを巻いて寝た。
少し痛むが歩けるのでまあいいのだが、酔っ払ったときはもう少し注意するようにせねば。
実家に帰省して紅白歌合戦を見るともなく見たり、新年を迎えて勧められるままにおせち料理をばくばく食べたりお酒を飲んだり、弟家族と一緒にホテルに泊まりに行ったり、大阪で大学時代のサークルの宴会に参加してたり、PSPのみんなのゴルフにはまってたら1週間の冬休みもあっという間に終わってしまった。情けないことにとりたてて新年の抱負もないまま明日から仕事…。
ところで大阪からこっちに帰るときに新幹線の時間までに時間があったのでうわさのヨドバシカメラ大阪店に行ってみた。恐ろしく広い店内だが、他の店舗に比べて若干迷路的な感じはないように感じる。ぶらぶらとミニB4ピンのUSBケーブルを探してると大好きな巻き取り式のやつを発見。2つ買おうと思ったが思いとどまる。ミニB4ピンはデジカメ、携帯電話、MP3ウォークマン、PSPなどについており使用頻度が高いので携帯しやすいのが欲しかったところだ。もちろん大阪店でもいつものポイントカードが使えてPSPを買ったポイントのみでの清算。なんだか新年早々とても得した気がしました。
まあこんな素朴なWeblogですが今年もよろしくお願いします。
29日までハードに働いたので30日,31日と家でだらだらと過ごす。年賀状を書いた以外は、PSPでリッジレーサーズばっかりやっている。ベッドに寝転んだままレーシングゲームが楽しめるって素敵なんだけど、5時間ぐらいでバッテリーが切れてしまう。5時間というのはかなり優秀だと思うのだがコードをつないだままやるのも嫌なので近所のファミコンショップでバッテリーを買うことに。はまってるなー。しかし外に出たら雪景色になっててびっくり。
バッテリーのついでにみんなのゴルフも買ってみる。これで実家に帰る新幹線の暇つぶしもばっちりか?ていうかこんな雪で新幹線は走っているのだろうか?まあ、ともかく今から実家に帰省します。
今年の1月からはじめたこのWeblogですが意外なことに1年続いてしまいました。なんか最近ペースが落ち気味だけど来年もだらだらと書くのでよろしくお願いします。
突然、病気になってしまいもうかれこれ2週間近く休んでいます。まあ病気なんて普通突然なるもんだけど…。せっかくなので今回の経緯を日記に残しておきます。
(1日目 始まり)
いつものように会社で働いていると少し悪寒がするので、風邪の引き始めかと思い会社の診療所に薬をもらいに行くと微熱があることが判明して早めに帰って寝る。これが長い闘病生活の始まりでした。
(2日目 風邪?)
朝、起きると38.5度も熱があるのでその日は休むことにする。「まあ、風邪だろう」と思って会社に連絡して休んでいるとぐんぐん熱があがって行く。39度を超えたので寝てても直らないと思い近所の病院へ行くも休診日。Yahoo!ヘルスケアで2番目に近い中規模の総合病院を見つけて行く。1時間も待たされて1分の診察で「のどの風邪でしょう」と言われて解熱剤と抗生物質を処方してもらい帰る。この病院もう二度と行かん!!
(3日目 高熱でうなる)
のどが異常に晴れてきた上、とうとう熱が40度を超える。解熱剤を飲んでも38度ぐらいまでしか下がらない。インフルエンザだろうと思ってもくもくと眠る。高熱がでるのは体が抵抗しているのだが、ちなみに上げていいのは42度まで。42度を超えるとタンパク質が変質し始めるので脳の障害などが起こるらしい。
(4日目 水疱瘡?)
一向に病状が改善しないので、先日休診日だった最寄の内科に行く。こっちの病院は個人病院なためかじっくりと話を聞いてくれる。聴診器で胸を見せたときに発疹が出ているのが見つかり、「水疱瘡では?」と言われる。水疱瘡なら2日ぐらいではっきりするので2日後に来るように言われる。さらに口の中に口内炎のようなものが大量に出来始め食事が難しくなっていく。
(5日目 食事不可)
朝、起きると口内炎のようなものが激しく進化していて口の中が全部炎症となり、朝食のサンドイッチ一つ食べるのに痛みに泣きながら30分くらいかかった。というわけでこの日からお茶と具のないスープ以外なにも食べれなくなってしまった。おまけになにも食べなくても口の中とのどはいつもズキズキ。もちろん熱は依然として40度オーバー。とほほ。
(6日目 はしか?)
病院にいってみると、発疹が膨らんでいないので水疱瘡ではなくはしかではないかと言われる。血液をとられて体力回復のために点滴を打ってもらう。点滴は始めてだが、あまり効果は感じなかった。この日から毎日点滴を受けに行くように言われる。ちなみに発疹はどんどんひどくなり発疹というより皮膚の70%ぐらいがピンク色に。
(7日目 肝機能低下)
血液検査の結果、肝機能が低下しておりいくつかの値が正常値の10倍ぐらいになっているといわれる。扁桃腺のはれと肝機能の低下からEBウィルスによる単核症ではと言われる。いつも××ではないかと言われると帰ってgoogleで病気について調べているのだが、この病気は一番自分の病状と合っている。思うに患者は医者に質問された症状しか言わないので、自分で症状を見たほうがあっているかどうかははっきりわかるような気がする。医者もこの病気がもっとも有力とのこと。
(8日目 慣れ)
かれこれ1週間くらい高熱ライフを過ごすうちにだんだんとこの状況にも慣れてきた。強めの解熱剤をもらったので解熱剤を飲んでいるあいだは口の中の痛みも少しはましになり近所に買い物と部屋の掃除ぐらいは出来るようになる。元気なうちに家事をして、解熱剤が切れると「待ってました」とうんうんうなる。
(9日目 回復の兆候)
朝起きると昨日よりも口の中の痛みが緩和していることに気付く。熱も40度を超えなくなり39度台の前半に下がる。ひそかに「ピークは超えたな」と実感する。
(10日目 さらに回復。が、痒い)
口の中の痛みもさらに直ってきている。また熱も微熱程度にまでさがっている。が、発疹もそのまま。今までなんともなかった発疹が異様に痒くなってきた。早く直すためになるべく解熱剤はやめたかったが、しかたなく解熱剤で熱を下げると痒みも収まるのでまだ解熱剤を使い続ける。
(11日目 熱下がる)
朝、起きると発疹がほとんどなくなっていた。おまけに熱も平熱。すっかり完治したと思って病院に行くが、肝機能がまだ回復しておらずまだ仕事は様子見と言われる。肝機能が改善するにはまだ1週間ぐらいかかるらしい。それにしても日々良くなっている自分を観察するにつれ人間の体って良くできてると本当に関心する。
というわけでもうすぐ社会復帰できそうだけど、ほんとに死ぬかと思いました。
ルーブル美術館の後は、ノートルダム寺院に行く。行くつもりはなかったのだがガイドブックに「ピエタ」があるというので行くことにした。以前読んだ沢木耕太郎の小説「深夜特急」の中で貧乏旅行でユーラシア大陸を横断する主人公が、キリストの亡骸を抱き悲しむマリア像を見て衝撃的に感動した場面を思い出したからだ。が、行ってみたものの「ピエタ」は祭壇の後ろにあり正面からだと10mぐらい離れていてよく見えなかったし「深夜特急」の主人公が受けたような衝撃もなかった。
というのも当然のことで後で調べたところ、「深夜特急」の主人公が見たのはローマのサン・ピエトロ寺院にあるミケランジェロの作品のものでまったく別の「ピエタ」だったからだ。それにしてもいつかローマの「ピエタ」を見てみたいもんですなー。
次は凱旋門を見にシャンゼリゼ大通りに行く。いろんな高級なお店があり日本で言うと銀座のようなところだろうか。ベンツやプジョーなど自動車メーカーのショールームもありプジョーのショールームで思わず3ユーロのキーホルダーを買ったり。また歩いてるとルイヴィトンのでかいオブジェがありかなりのインパクト。店なのかどうかは不明。また警察か軍隊かなにかのパレードがシャンゼリゼ大通りを行進して凱旋門をくぐって行くのにも遭遇。
そんでもって最後はこれまたお決まりのエッフェル塔に行く。行ってみると上に上るエレベーターはこれまた大行列。でもせっかくなので並んだがバルセロナでもエレベーター待ちでうんざりしてたがこれもかなりうんざりだった。おそらく1時間以上並んでいたと思う。並んでいる間にだんだんとあたりはくらくなってきて夕焼けのなかに塔の土台がくっきりとうかんでくる。
エレベーターには下から順に第一展望台、第二展望台、第三展望台とありそれぞれ値段も違うのだがどうせユーロも余りそうなので一番上の第三展望台までのチケットにする。やがて並んでいる間に完全に日が沈みライトアップされたエッフェル塔はさすがに美しかった。
帰りにまたシャルル・ド・ゴール空港に向かう電車にのってたら突然女の子が車内で縦笛を吹き始めた。小学校のときランドセルにアンテナみたいに入れたり吹くところがつばで臭くなるあの縦笛である。さほどうまくもなかったものの真っ暗なパリ郊外をみつつ聞いてると少ししんみりとしてポケットにはいってた小銭を全部あげてしまった。
というわけでこれでフランスネタはやっと終わりです。あー、我ながら書くの遅すぎ!!
やっとのことでパリの市街地に向かう電車に乗ってパリ市街に到着。まずは時間節約のため指差しで指定するとレンジであっためてくれる中華料理を食べる。
満腹になったのでルーブル美術館に向かう。地図を片手にぶらぶらと歩いていると突然巨大な建物が現れそれがルーブル美術館だった。さっそく中に入ってみる。
ちなみに料金を払う入り口はかなりなかにあるので小説「ダビンチ・コード」にも登場するガラスのピラミッドのある公園までは無料では入れる。ここをぶらぶらしていると白人の女の子が二人話し掛けてきて、自分のカメラを指差してフィルムを入れてくれと頼まれる。なんとかフィルムを入れるがうんともすんとも言わない。多分、電池が切れてるのだと思いつついろいろ試してみてると「他をあたるからと」いう感じでどこかに行ってしまった。よう分からん。
入り口はガラスのピラミッドの地下のホールになっているが世界有数の美術館という荘厳さは無く、人が多く雑然としておりどちらかというとターミナル駅のコンコースといった感じだ。8.5ユーロの入場料を払って入る。目的はもちろんミロのヴィーナスやモナリザだ。この広大な美術館の中でそういったメジャーアイテムにたどり着けるのか不安だったが、その心配はまったく無用だった。館内のいたるところに「モナリザこっち」という標識があるからだ。
まずはミロのヴィーナスを発見。ちょうど年配の日本人の団体がいてみんなデジカメで写真をとりまくっていた。それにしてもこんな有名な作品なのに手が届きそうな感じでおいてある。もしかしたらレプリカなのではなどと思ってしまう。とはいえさほど感動もなかった。
さらに膨大なキリスト教にまつわる莫大な量の絵をみつつ奥に歩いていくと「モナリザ」発見。ルーブル美術館で一番人気だけあってすごい混雑だ。これまたみんな写真を撮っているのだが、防弾ガラスの向こうにある絵をさほど明るくもない場所で手持ちのデジカメで撮ってもまあはっきりいって大して綺麗な写真は取れないわけで。他の人が写真を撮ってその出来栄えにがっくりするのを見るほうがよっぽど面白い。
「モナリザ」はなんだか不思議な絵で見てると、「私は知ってるんだからね!!」といった感じで話しかけてくる奇妙な感覚にとらわれる。まあ、私だけだと思うが。
もうちょっとパリの日記を書きます。
日本に戻るときにシャルル・ド・ゴールで乗換えなのだが、よく考えたら朝からパリに行ってエールフランスの23:25の成田行きでかえると12時間ぐらいのパリ見学が楽しめるので実行に移す。それに前回のように乗り換えダッシュをしなくてすむし。
10時のフライトに乗り昼前にはシャルル・ド・ゴールに到着。空港から少し離れたパリの中心部に行くためには電車がお勧めと聞いており、RERという国がやっている郊外地下鉄の乗り場へ行く。まずは肩にずっしりと重いノートパソコン入りのかばんをコインロッカーに入れたいのでコインロッカーを探すもみつからない。これを一日持ち歩けというのか?という絶望感にかられながらもさまよい歩くも見つからない。
どうしようもないのであきらめて切符を買うことにするが、この切符が恐ろしい代物だった。あー、思い出すだけで腹立つ!!まず自販機しかない。そして自販機には英語のインストラクションがない。そしてインフォメーションは長蛇の列。ベンチに座って重要な単語を辞書で引いていたらいつの間にか自販機まで長蛇の列になってしまった。列に加わって後ろから観察していると白人の人(国籍不明)がどうやらクレジットカードが認識されないらしくさんざんトライしてとうとうあきらめてどこかに行ってしまった。かと思えばさっくりアジア人が成功してたりする。どうやら確率は半々ぐらいのようだ。
やがて自分の番になる。ドキドキしながら自分のクレジットカードを入れるもどうやらエラー画面のようだ。後ろに並んでいる人に別のカードでやって見ろと言われいろいろやるも全部だめだった。(だめといってもそのエラーメッセージもフランス語で分からないのだが) 結局後ろの人にコインをゲットして来いといわれる。そう、駄目押しとしてこの自販機紙幣が使えないのだ。パリ行きは8ユーロなのでさっそくキオスクに行きミネラルウォーターを買い10ユーロでおつりをコインでと言うとだめだといって5ユーロ紙幣を返そうとする。じゃあ、ミネラルウォーターいらないとキオスクを後にする。仕方がないのでサンドイッチを売っているスタンドで同じようにミネラルウォーターを買っておつりをコインでとお願いするとやっとしぶしぶもらえた。つまり、こういうことだ。
- 自販機だけで窓口が近くにない
- インフォメーションは長蛇の列
- 自販機はフランス語オンリー
- 自販機はクレジットカードを半分の確率でリジェクト
- 自販機は紙幣は受け付けない
これがマイナーな場所だったらしぶしぶなっとく出来るが、相当利用客が多いであろうシャルル・ド・ゴールからパリ市街の経路がこの状態というのが不思議でしようがない。何かの試練なのだと思うことにした。
これまたすごい前の話なのだが…。BLOGっていったん書かなくなると全然書かなくなってしまいますね。結局夏休みで沖縄にいったあと再びフランスのMontpellierに出張でフランスに発つ前の日の夜中にやっとホテルがとれるという悲惨なスタートだったがまあそれは置いといて。
んでフランスの最後の週末も「もう行くところもないしホテルでぐーたらするかな」と思っていたが、一緒に働いているフランス人女性に「週末は何するの?」と聞かれついサービス精神を発揮して「最後だから遠いけどバルセロナに行こうと思っているんだ」と話すと、いろいろとバルセロナでの見所や注意点を教えてもらい、月曜日に「やっぱり行きませんでした」と言うのも嫌な私は日曜日に早起きして出発。どうにかならんかね、この八方美人な性格。
バルセロナまではいつも使っている高速道路のA9を使えば一本なので道は簡単なのだがなにしろ330キロもある。休憩時間と市内に行く時間などを入れたら120キロ巡航で片道4時間といったところ。往復だと8時間だ。少し早起きして出発して高速道路をひた走る。スペインへの国境超えも以前と同じなので感慨もない。高速を降りて標識に従っているとやがてバルセロナの市街地に入っていく。赤信号で止まると7,8人の子供が交差点で待機しており、一斉に車道に入ってきて片っ端から洗剤をつけてフロントガラスを磨き始める。私の車も洗剤をかけられたが、手で「ノーサンキュー」と合図をするとどこかに行ってしまった。後からワイパーで拭くとフロントガラスがピカピカに。ラッキーだけどちょっとあせった。
市街地に着いたので車を通りすがりのパーキングに入れる。それからおもむろに地図で現在地を確認してサクラダ・ファミリアに向かって歩く。言うまでもなくバルセロナはかなりの都会だが日曜日なためかあまり人通りもなかった。あせだくになってサクラダ・ファミリアに到着。昼飯がまだなのでそこら辺にあるレストランにはいってパエリアを注文。うまい!!
いよいよ本日唯一の観光スポットサグラダ・ファミリアに。ちなみにガイドブックには次のようにある。またネスカフェのCMでおなじみの違いの分かる彫刻家が現場主任をしていることでも有名だ。
ガウディの未完の代表作として、バルセロナの象徴として世界に知られる聖堂。着工から120年を経過した今なお建設途中で、現在シンボルとなっている12使徒を表す鐘楼をはじめ、教会全体でキリストの生涯をあらわす。
入場料の8ユーロを払って中に入ってみるとなるほどあちこちに建築資材が置かれており、まだ建設途中であることを思い出させる。あっという間に一回りしてしまった。上に行くエレベーターがあるので当然乗るとしても結構な行列。先頭の人に聞いたら1時間ぐらいとのこと。とはいえ他に予定がないので並ぶことにする。ちなみにメジャーな観光スポットだけあって南フランスでは見かけなかった日本人が結構いてちょっとうれしい。
一人なので1時間はかなり長かった。おかげで列の前のカップルがいかにラブラブかというのはよーく分かったが。上に行くと待っただけあってかなりの眺めだ。隣の鐘楼も水平に見れる。上では鐘楼と鐘楼の間の渡り廊下を歩くのだが柵が結構低くてなかなか怖い。途中で中年女性が恐怖のあまり動けなくなっていた。怖い代わりに上からはいろいろな方向にバルセロナの町を見下ろすことが出来る。ヨーロッパでは景観を守るため4階以上のビルがほとんどないそうだ。そのためそんなに高くない鐘楼からでもさえぎられるものもなく町を見渡すことができた。これが日本だったらニョキニョキと高層ビルが見えるんだろうなー。
塔を降りてお土産屋で少し小物などのおみやげを買って帰路に着く。なかなか高速に乗れなくてバルセロナをうろうろと走り回ってちょっと焦りましたが、また4時間ひた走って夜にはなんとか無事にホテルに戻ることが出来ました。次回は大変な目にあったパリです。
三日目の朝は晴れていた。なぜか民宿の朝ごはんはは早い。確か8時には食べ終わっていた。食後にダイビングに備えてデジカメのハウジングにシリコングリスを慎重に塗っているとR氏から島にある山に景色を見に行こうとの誘い。R氏は何度も通っているだけあって即座に携帯でマイクロバスをチャーターする。山頂からの景色は当然ながら回りは360度全部海なわけでとても美しい。すさんだ心がすこし洗われる。
ダイビングは7年も前にライセンスをとったのにもかかわらずまだ10本の私はいつも「これどうやってつけるんでしたっけ。」状態。穴場的な沖縄の離島に来るだけあって他の人はみんな慣れた感じで素人感ゼロである。しかも直前になってR氏からボートから海に入るのはバックロール・エントリーであることを告げられる。前にやった唯一のボートダイブはジャイアントスイング・エントリーといってまあぶっちゃけえいって飛び込むだけなのだが、バックロール・エントリーといったら重いタンクを背負ってボートのふちに腰掛けて後ろ向きに回転しながらはいるアレである。玄人向けのショップだけあってバックロール・エントリーのやり方はおろかバックロール・エントリーで入ることさえ告げられない。常識なのだろうか?
が、バックロール・エントリーはやってみたらなんてことはなかった。多分一番大切なのは下に人がいないのを確認することだろう。で、海底にはいろんな魚がいて懸命にデジカメで動画を撮る。私のはCanonのPowerShot S1 ISなのだがこいつは素晴らしいことにVGA30フレームの動画がCFの容量の続くかぎり無制限でとれる。しかし、やっぱりライトがないと色が青っぽくなっていまいちなことを再認識。次はライトを持ってきたいなー。ダイビング機材をなにも持っていない私は最低限の機材を買うのが先なのだが。
夕方になっても晴れているので予定通りみんなで夕日が沈むのを見に行く。よく本などでアフリカの太陽を見て私はあのときに人生観が変わったなどと書いてあるのを見る。この綺麗な座間味の夕焼けを見て人生観を変えたい私は期待が膨らむ。しかし一口に夕日と言ってもずっと見ていると次々と色や雰囲気がめまぐるしく変化しいろいろな美しさを見せることに気付く。その中でも下のはお気に入りの一枚っす。
やがてオリオンビールで乾杯してると辺りは暗くなり帰ろうとしたら、乗ってきたバスのバッテリーが上がっていた。携帯の電波もほとんどはいらないので運転手のおじさんは山の頂上で携帯を持ち上げて通信。それにしても不謹慎なんだけど人間ってなんでこういうときちょっとワクワクするんでしょうか?やがて迎えに来た車でひっぱって押しがけして帰る。でもいくら綺麗な夕日でも人生観は変わりませんでした。
夜は、島の居酒屋でR氏の友人で船の渡しの船頭さんたちと飲む。観光客が魚に餌をあたえるのが良くないとか美しい自然も少しづつ壊れているとか地元の人ならではの話に耳を傾ける。いい感じで泡盛を飲んでいると話はやがて一緒に住んでいる父親が頑固で困っている話になり、さらに酒が進むとほとんど下ネタに。この変貌振りにはかなり私のツボにはまりこの人たちが大好きになってしまいました。最後は恒例のダイビングショップで1時ぐらいまで飲んで座間味最後の夜は終わってしまいました。
翌日起きると、どんよりと曇ってしとしとと雨が降っていた。はるばる沖縄まで来たのにである。今日は那覇から高速船に乗って目的地の座間味島に行く予定だ。高速船は予定通り運航するとのことなのでタクシーに分乗して港に向かう。車の中でも激しい雨が降り続いており運転手さんも「今日は一日雨だよー」と悲しいことを言っていた。それでも座間味島に船が着くころには曇ったままだがなんとか雨は上がっていた。島に着くと早速宿の「米子」に。「米子」は家族経営の素朴な民宿なのが詳しくはまた後ほど。天気が少しましになってきたので近所で食事をして水着に着替えて近くの無人島に行き、シュノーケリングに挑戦。以前から聞かされていたが本当に美しい海だった。日本にもこんなところがまだ残っているのかとひとしきり感動。
田舎が瀬戸内の町だったので子供のころからよく素潜りをしていたが初めてフィンをはいての素潜りは初めて。が、フィンをはくと面白いように潜れることが発覚。今までの素潜り人生はなんだったのだろうと思うとちょっとむなしくなる。それにしてもR氏のもぐりっぷりはすごくて水深15mぐらいまでぐいぐい潜っていく。よく息がもつと関心する。ちなみに下の写真はR氏がとってくれた私の素潜りショット。
またこの日のために急遽購入したデジカメの防水ハウジングを使って水中写真の撮影に挑戦。海の中はどうしても青い光しかとれないのでフラッシュをたいたりライトで照らさないかぎり青っぽくなってしまうのがちょっと残念。とはいえ虎の子のデジカメが水没しなかっただけよしとしよう。他の人が休憩するなか一人で海で遊んでいると、見知らぬ人に水中でシャッターを押したお礼に魚をよせるソーセージをもらう。言葉は通じないが「シャッターどうもです。これ余ったんでよかったらどうぞ」というのが分かった。多分、フランスでずっと言葉なしのコミュニケーションにはげんでいたせいだろう。そのもらったソーセージだが水中に放すと恐ろしいほどの魚が群れてくる。しかもうかうかしていると指をがぶりとかまれる。ヒッチコックの「鳥」を思い出さずにはいられない。この映画は見たことはないが…
そのうちまた雨が降ってきたのでまた船に乗って宿に戻る。シャワーを浴びてから早めの夕食。この宿、「米子」というネーミングに少し疑問をもっていたが夕食時にあっさり解明。というのも食事を運んでくれたおばちゃんが奥のおばあさんに向かって「米ちゃん味噌汁がひとつ足りないよ!!」というのを聞いたからである。そう、おばあさんの名前の米子をそのまま民宿名にしている。なんてストレートなんでしょう!!ちなみにここの夕食はおいしいのだけど量がしゃれにならないくらい多い。いつもメインディッシュが二つも三つもある。(例:トンカツ+煮魚+刺身)
夕食後は、フランスで買ってきたワインを近所のイタリアンに持ち込んでプチ宴会。出張先の地元のワインを買ってきたもののR氏に「これボルドーだよ」と指摘され少しがっかり。まあ美味しかったので良しとする。2次会は翌日お世話になるダイビングショップで飲む。なぜかこのダイビングショップは店の前の大きなテーブルで毎晩宴会をやっているようで、翌日お世話になるインストラクターと一緒に泡盛の水割りを頂く。こうして長かった座間味の最初の夜は更けて行きました。(つづく)
遅れた夏休みで沖縄旅行へ。以前一緒に仕事をしたプロジェクト・マネージャー(以降R氏と書きます)が座間味という島にほれ込んでおり一緒に連れて行ってもらうことに。とはいえ以前書いたように一人だけバーゲンチケットが取れなかったので一日早く沖縄に行き一人で遊ぶはめになってしまった。幹事のR氏に予約してもらったホテルは那覇の歓楽街の国際通りにあり夕方到着したので軽くぶらぶらして名物のソーキそばを食べて寝る。
が、時差ぼけで全然寝れない。とはいえ翌日もホテルでぐーたらするのももったいないので出かける。初めての沖縄なので南の方のひめゆりの塔に行くことにする。レンタカーを借りるのが面倒なのでバスで行こうとするがこれが失敗だった。バスは接続も悪く便も少ないので乗り換えポイントの糸満市のさびれた誰もいないバスターミナルに置き去りになってしまった。待ち構えていたタクシーの運転手が、最南端の岬、ひめゆりの塔、平和記念資料館、旧海軍の地下壕を回って那覇のホテルまで送ってくれて7,000円と持ちかけてきたので、バスにうんざりした私は即答でお願いする。
このときから運転手のおじさんとの小旅行になってしまった。年配の人なのでこっちは客とはいえそれなりに気を使う必要があったが、地元の人ならではのいろいろな情報を聞くことが出来た。このおじさん携帯が鳴るたびに誰かとしゃべるのだが方言のせいでちっとも何を言ってるのか分からない。それでも最近の若者は方言を話さなくなってきているので、このおじさんも奥さんと子供で使いわけてるそうだ。
おじさんに連れられて太平洋戦争で唯一の地上戦となった沖縄の惨状を次々と見るにつれてすっかり観光気分が無くなってしまった。しかし日本人として一度は訪れるべきだと思う。戦争が終わった後も大量の米軍基地が残されたままで、その規模と任務の大きさか基地がなくなることはないだろうと運転手さんが言っていたのが印象的だった。
昼飯を食べ損ねたので、オリオンビール(定番)を飲みながらタコライス(定番)を食べてると夕方になり他のメンバーも次々と到着。さっそく一行で定番の首里城に行く。首里城で石垣に登って係りのお姉さんに怒られた後は近くの郷土料理の店、「いろは庭」にて夜の宴会。すでに東京でも定番となりつつ豆腐ようを始めとしていろいろとめずらしい料理を食べるも、最後に出てきた海蛇のスープのインパクトが強烈で他のはすっかりかすんでしまった。恐る恐るかじってみた海蛇はなんというか”いりこ”のような味でした。健康にはいいんだろうけど…(つづく)
もはやかなり前の話ですが少しずつ…。
夜の8時55分に出発のパリ行きの飛行機だが、8時55分になっても搭乗の案内もない。シャルル・ド・ゴールでの乗り換え時間は1時間しかないのにである。つまり30分遅れたら乗換えが30分になるわけで…。それでもまんじりともせず待っているとやっと30分遅れで出発する。シャルル・ド・ゴール空港に到着するといつもは他の乗客が出てからまったりと飛行機を降りるのに今日はあらかじめスタンバイしておりマラソンのスタート状態。あせる気持ちを抑えつつ飛行機をでるとショックなことに搭乗口につながっておらず。まったりとバスが待機している。
脱力してタラップを降りているといくつかの都市名を書いたカードを持って立っている人がいてみるとその中にはTOKYOの文字も。もちろん自分を指差し「TOKYO, TOKYO」と連呼。それにしてももうちょっとましな英語が使えないものでしょうか?
乗換えがやばいほかの3人とともに案内のミニバンに乗ると国際線のターミナルにまっしぐら。その後、係員の誘導で手荷物検査、出国審査をそれぞれ専用のゲートにて瞬時にコンプリートして気づいたら日本人がいっぱいいる成田行きの搭乗口に到着。こんな大量の日本人を見たのは久しぶりなのでかなり感動しました。あと帰ってきた日に飲み会があったんだけど残念ながらこちらのフライトも遅れて行けませんでした。
土曜日に日本に帰る訳だが、ふと帰りのチケットを見ると現地のMontpellier発が20:55とある。あー!!ちゃんとチェックして変えてもらえばよかった。なにせーちゅうねん!!とはいえ昼ぐらいまでにはホテルはチェックアウトしないといけないので11時ぐらいに出発し、近場でまだ行っていない世界遺産の水道橋Pont Du Gard(ポン・デュ・ガール)に向かう。最後なのでのんびりと地道で南仏の田舎町のドライブを楽しむ。大体田舎道は並木道になっていて道の両側に立派な木がありなんだかトンネルの中を走っているような感じなわけだが、考えたらわざわざこんな田舎道の両側に大きな木を植えているわけで。恐るべしフランス人と思いながら走る。
途中、昼飯にショッピングモールに立ち寄りマックを食べようとして店に入ると案の定長蛇の列。しかも日本よりも明らかにトランザクション・レートが低い。マックなんて食べなくてもおいしいものいっぱいあるのになんであんなに人気あるんだろう?ともかく3分しか我慢できずにスーパーの中の軽食コーナーに直行してパンとピザとダイエット・コーラを食べる。ユーロとかなり安いのだが味もそれなりだなー。まぁ日本のスーパーの軽食コーナーもこんな感じだが。あ、でもみんなワインごくごくいってます。
程なく、Pond Du Gardに付く。ガイドブックには、
今から2000年以上も前に建造された巨大な石の橋。アヴィニョンとニームの間のガルドン川にかかっており、全長50kmあったといわれている。ユゼス付近の水源とニームの町の高度差はわずか17mといわれ、それに微妙な傾斜をつけるという驚異的な技術で水を流していた。
とあり、写真のキャプションにはニーム方向への傾斜は見た目には分からないとある。うーん、どうもニーム川に傾いている気がするけどなー。ていうか傾いてるよ。と思いつつ適当に写真をとる。川ではボート遊びをしていたり水遊びをしている子供がいてかなりのどかな感じ。
これで少し時間がつぶれたがまだ6時間ぐらいあるので、前に行けなかったカルフールに行く。今までフランス人は大型スーパーでかったりせず今でも昔ながらの小さな店で買っているのかと思っていたが、大きな間違いだったことに気づく。パソコンなどの電気製品、日曜工具なのどの生活用品、洋服、もちろん食品とすごい充実振りでしかも店は大賑わいでみんな大きなカートに入れてじゃんじゃん買ってました。ここではおみやげのワインを買う。しかしお土産袋は小さなトートだけなので2本が限界かなーと思っていると10ユーロですてきなキャスターバッグが売ってるじゃないですか!このキャスターバッグを買って強気になって3本購入。このキャスターバッグ10ユーロのわりになかなかよく出来ていて、これって今回の出張で一番有意義なお金の使い方の気がする。
というわけで空港のロビーでこの日記をしこしこ書いています。まあ、更新するのは日本に帰ってからなんだけど。さっき英語のアナウンスで〜delayed〜という単語が聞こえたので気になってカウンターに行ってみるとフランス語オンリーでなんか書いてある。まあ私の英語なんてこんなもんですわ。が、この後大変なことに…。
地元の人にはバルセロナへの旅行を勧められたがちょっと遠いというと国境近くのFigueras(フィゲラス)という町を薦められる。ダリの作品が観れるダリ美術館があるとのこと。Webで調べて知らない人のスペイン旅行記などを読んでいると面白そう。というわけで日曜日はちょっと遠いけどフィゲラスに行くことにする。11時ごろにまったりと出発。さすがにハイウェイはもうあまり混んでおらずすいすいと進む。2時間ほど走るとやがてフランス最後のパーキングなどと言う標識が見え始める。その後料金所かなーと思って列にならんでいると、普通機会からチケットをとるのだがそれすらもなく係員はいるもののみんなすいすい通っていく。国境だった。
少し走ってから目的の出口でハイウェイを降りる。係員にお金を払おうとして、自分がスペイン語で「こんにちは」も「ありがとう」も知らないことに気づく。ま、いっか。しかも美術館の場所はフィゲラスという町にあるということしか知らないよー。ともあれ町の中心に向かうと標識を見つけたのですかさず曲がる。と目の前はWebで観たダリ美術館だった。これは間違えようがないです。
さっそく見学といいたいところだが、もう2時なのでお昼を食べることにする。美術館の前にちょうど観光客目当てのレストランがあるのでやや怪しいが安直にそこにしてせっかくとばかりパエリアを頼む。繊細な味ではないが具がボリュームたっぷりの肉とか海老など豪華な直球勝負なのでうまい!!
さて、お腹いっぱいになったところでおもむろに美術館に入る。9ユーロなり。美術館という堅苦しい感じはなくあまり芸術に縁のない私でも思いっきり楽しめました。お勧めです!!
美術館を出ると少し雨が降っていた。晴れてこそのスペインなので思わずそのまま来た道を帰ろうかと思ったが、予定通り田舎の港町に向かう。目的地に着いて見るとどうやらここは避暑地らしく別荘のような建物が立ち並んでおりどことなく熱海っぽい感じ。とりあえず海辺にいってみると、これまた熱海っぽい小さなビーチで地元の人がくつろいでる。この時点で5時くらいともう遅いのでとっとと帰ろうと海沿いの道を北上する。途中の道はかなりの絶景で、車を停めて写真→ちょっと走る→車を停めて写真とやってるとかなり疲れてきた。おまけに道は曲がりくねっていて結構車幅も細い。こんなところで事故したら想像不可能なほどやっかいなことになるので慎重に運転する。やがて国境を越えフランスに入る。今度の国境は無人でした。
そのまま海沿いの道を走っていると絵に描いたようなヨットハーバーがあるので、またまた車を停めて写真撮影。となりでなにやら日本のお祭りみたいなのがあるので覗いてみると、風船釣り(のようなもの)や豪華なライフルがずらーと並んだ射的、メリーゴーランド、UFOキャッチャーなどがありちょっと楽しげな感じ。その後さらに北上して、ハイウェイに乗り帰ったが途中道を間違えたりしてホテルに着いたのは夜の10時でした。はぁー、疲れた。
なんでかさっぱり分からんがフランスではマニュアルの車が主流で、女性でも普通にマニュアルの車を運転している(もっともこれはヨーロッパ全体の話らしい)。会社の帰りに結構坂道があるのだが、この坂道でどの車もちょっと下がってから発進するのでほとんどの車がマニュアル車とういうことが分かる。なので当然レンタカーもほとんどマニュアル車でオートマ車はほとんどないようだ。とはいえ知らない土地でいきなり左ハンドルのマニュアル車は危険なので最初は割高なオートマ車を予約して使っていたのだが、レンタル期間の一ヶ月が過ぎたのを機に日本で予約したオートマ車をキャンセルしてマニュアル車を借りることにする。借りたのは青のプジョー307だ。
当然ながら左ハンドルなので、左手でハンドルを操作しつつ右手でギアを操作する。そのため右ハンドルのマニュアル車の運転と左右まったく逆になり、右手でやってたことを左手が、そして左手がやってたことを右手がやる必要がある。この点は海外で運転する場合、右ハンドルでも左ハンドルでもウインカーの位置ぐらいしかかわらにオートマ車とは決定的に異なると思う。最初は利き手でない左手だけでハンドルを操作するのにかなり危険を感じた。それを右手のぎこちないシフト操作がダメ押しする。しかもあせったときに1速から2速に入れるときに左手が存在しないシフトレバーを求めて宙を舞う。ちなみに1速が左なのは右ハンドルと同じ。
とはいえ当然ながらすでに道は熟知してるので運転に集中でき、なんとか事故を起こすこともなく慣れることが出来た。いまだに手間取るのは右左折のときに曲がる前に減速してスムーズに3速から2速に落とすところぐらいだ。もっともこれをスムーズにやるのは右ハンドルでもなかなか難しく、初心者のころははクラッチをきったまま3速で曲がったあとに2速にして加速してたりした。
ところでこの車ディーゼルのせいかやたらと低速トルクがありなかなか新鮮なフィーリングだ。特に低回転からの2速での立ち上がりはなかなかうっとりさせるものがある。「うーん、日本にかえったら買おうかなぁ。コンパクトだし」などと少しよぎってしまうくらいだ。もっとも日本で買うと確実にガソリン車だが。
あと車での音楽。いつも地元のラジオ局を聞いてるんだけどたまには自分のお気に入りも聞きたいなー。などと思っていたのだが、今日ふと「PCに入っているMP3をWAVに復号化してCD-Rに焼けば車で聞けるじゃん!!」という当たり前のことにやっと気づいた。というわけで早速ホテルの近くのPCショップでCD-Rを5枚だけバラ売りしてもらう。そんでもって焼いたCDを車で聞くのに成功!!
まあ、そんなこんなで今日は昼過ぎまで仕事をして、夕方からは初めてプジョーでお出かけで近くのビーチに行きました。こっちは9時ぐらいまで明るく7時半ぐらいまでいたのにまだ結構人がいた。でも聞くところによると多くの人は今週末でバケーションが終わりとのこと。別にバケーションをとっていない私も去り行く夏を思い少し感慨に浸ってしまいました。
次に行ったのが、Saint-Remy-de-Provence(サンレミ・ドゥ・プロヴァンス)という田舎町。こちらも手持ちのガイドブックには1ページだけで中心部の地図も載っていないのにもかかわらずFIGARO Japonには6ページも割かれている。曰く、
旧市街もあれば、小さなパリもある、趣たっぷりのエレガントな町歩き。
とのことでなんでも女性たちを夢中にさせるものがいっぱいあるらしい。ちなみに紹介されている店は、テーブルグッズの店、エレガントな陶器の店、有機農法のアロマ専門店、南仏の田舎をイメージした雑貨店、テイスティングの出来るオリーブオイルの店、フランスで脚光を浴びるチョコレート店、文献を掘り起こして昔のお菓子を作っている店、宝石のような輝きを放つフルーツの砂糖漬けの店などなど男の私にはあまり縁のなさそうな店ばかり。
とはいえまだ帰るのにも早いのでともかく北に向かってこの町を目指すことにする。それにしてもフランスの標識は良く出来ていると思う。駅の売店で買ったアバウトな地図と標識を頼りに適当に走ってると目的の町に到着した。適当に広場の前の駐車場に車をとめ、よく分からないままに自販機で切符を買い運転席のところにおいておく。何の確信もないが多分これであっていると思う。さてここが目的地のサンレミ・ドゥ・プロヴァンスなのはFIGARO Japonの写真とまったく同じ景色を見つけたので間違いない。ついでに同じ場所で写真を撮っておいた。
ともかく疲れたので広場の前のカフェで大好物のダイエットコークを飲みながらFIGARO Japonの地図を見る。が、現在位置がどうもよく分からない。常日頃から思っているのだがおしゃれな雑誌の地図はおしゃれに書いてあるがゆえに分かりにくい。店員に現在場所を聞く勇気もないのでよく分からないままに適当に人の多い方を目指してぶらぶらしてみる。そういえばここはゴッホが住んだ町らしくそれらしい博物館やパネルが街にところどころある。もちろん、おしゃれな家具の店、食器の店、雑貨の店等がいろいろある。うーん、好きな人にはたまらないんだろうなー。「猫に小判」ということわざを思い出さずにはいられない。
とはいえ私は一回りすると飽きたので軒下で売っているアイスを買うことに。2つのボールのやつにしてバニラと名産のラベンダーを指定するもどうしてもラベンダーが通じない。じゃあと仕方がないのでバニラとモカにして噴水に腰掛けて食べる。なぜかモカは一発で通じたしモカもなかなかおいしかった。
というわけで要するにまあなんというかお台場のヴィーナス・フォートみたいなとこでした。それにしてもこれだけ雑誌で取り上げられているのに日本人は一人も見かけませんでした。やっぱこんな南仏の田舎まではなかなか来ないのだろうか?ちなみに次の週末は仕事でなければワイナリーを訪ねる予定です。(あー、似合わねー)
南仏に出張ということで友達(女子)に「南仏プロヴァンスの夏休み。」というFIGARO Japonという雑誌をもらって持って来ている。どうもです>E嬢。明らかに女性向けの雑誌でちょっと読んで「近くのスポットはないだろうなー」と勝手に思っていたが、土地勘が付いてきた最近見ると近いところがいくつかあるじゃないですか!!というわけで日曜日はプロヴァンス小旅行に出かける。
最初のスポットはLes Baux-de-Provence(レ・ボー・ドゥ・プロヴァンス)だ。日本から持ってきたガイドブックによると半ページだけ載っていて「詩人のミストラルが、鷲の一族と呼んで武勇を称えたレ・ボー一族は、この岩山の頂点に難攻不落の城西を構え、この地方の文化の中心として栄えた。やがて幾多の政争を経て、ルイ13世の時代に城塞はほうかいした。今日、この廃墟からは、アルルなどのプロヴァンスの風景が一望できる。」などとありなかなか旅愁を誘うところのようだ。
しかし4ページも割いているFIGARO Japonには「伝説の岩山をひと巡りしたら、谷間のむらではおいしい料理に舌鼓。」などある。もちろんフィーチャーされている店はいずれも、おしゃれなアート・カフェ?やオリジナル生地のテーブルクロスや絶品のオリーブオイルの店などだ。ともかく、10時半という驚異的に早くに出発してハイウェイを乗り継ぎアルルを通り過ぎ北上してLes Bauxを目指す。近づくにつれなるほど多くの岩山が目立ってくる。
2時間ぐらいで要塞のふもとに到着。ここからは歩いて登るしかないようだ。といっても10分もあるけば到着する。運動不足の私にはまあいい運動だろう。私にとってはいい運動だが、この要塞を攻略するのはほとんど不可能ではないかと思う。
登ってみると要塞の中に小さな村があるのが分かる。おみやげ物の店、名産の生地で作ったテーブルクロスを売る店、簡単な飲み物を出すカフェ、レストランなどがひしめいている。ちょうどお昼なのでレストランを探すが、どこも混んでいる。FIGARO Japonに載っていたアート・カフェも満員だった。そもそも一人の客は店としてはあまり喜べない客なので、一人のときは少しすいている店がちょうどいい。そういうわけでちょっと外れたところにいい感じのレストランを見つけて入る。出迎えてくれた女主人は、私がフランス後がさっぱりなのを悟ると料理をしている旦那を呼び出す。旦那は自分の仕事でもないのに英語でオーダーをとってくれたり超親切だったが、奥さんに尻にしかれて頭があがらないのだろう(もちろん勝手な憶測)。ここでは地元の4種類のチーズが入っているサラダをチョイス。こっちでは大きいサラダが主食にもなるようでおいしい上になかなかお腹もいっぱいになる。
食後、お土産などを買いながらぶらぶらしてるうちに欲しかったアイテムのワインオープナーを発見!!こっちにきて気になっていたのがレストランの店員が使いこなしているワインオープナーで、普通のと違って2段階にてこの原理を使って立ったままテーブルを使わずにスマートにあけれるやつで勝手にダブルアクションタイプと命名している。もちろんさっそく購入。15ユーロなり。ホテルに帰って試してみましたがちゃんと空きました。うーん、一番の収穫がこれかよ。このあともう一箇所行くんだけど続きはまた次回。