やっとのことでパリの市街地に向かう電車に乗ってパリ市街に到着。まずは時間節約のため指差しで指定するとレンジであっためてくれる中華料理を食べる。

満腹になったのでルーブル美術館に向かう。地図を片手にぶらぶらと歩いていると突然巨大な建物が現れそれがルーブル美術館だった。さっそく中に入ってみる。

ちなみに料金を払う入り口はかなりなかにあるので小説「ダビンチ・コード」にも登場するガラスのピラミッドのある公園までは無料では入れる。ここをぶらぶらしていると白人の女の子が二人話し掛けてきて、自分のカメラを指差してフィルムを入れてくれと頼まれる。なんとかフィルムを入れるがうんともすんとも言わない。多分、電池が切れてるのだと思いつついろいろ試してみてると「他をあたるからと」いう感じでどこかに行ってしまった。よう分からん。

入り口はガラスのピラミッドの地下のホールになっているが世界有数の美術館という荘厳さは無く、人が多く雑然としておりどちらかというとターミナル駅のコンコースといった感じだ。8.5ユーロの入場料を払って入る。目的はもちろんミロのヴィーナスやモナリザだ。この広大な美術館の中でそういったメジャーアイテムにたどり着けるのか不安だったが、その心配はまったく無用だった。館内のいたるところに「モナリザこっち」という標識があるからだ。

まずはミロのヴィーナスを発見。ちょうど年配の日本人の団体がいてみんなデジカメで写真をとりまくっていた。それにしてもこんな有名な作品なのに手が届きそうな感じでおいてある。もしかしたらレプリカなのではなどと思ってしまう。とはいえさほど感動もなかった。

さらに膨大なキリスト教にまつわる莫大な量の絵をみつつ奥に歩いていくと「モナリザ」発見。ルーブル美術館で一番人気だけあってすごい混雑だ。これまたみんな写真を撮っているのだが、防弾ガラスの向こうにある絵をさほど明るくもない場所で手持ちのデジカメで撮ってもまあはっきりいって大して綺麗な写真は取れないわけで。他の人が写真を撮ってその出来栄えにがっくりするのを見るほうがよっぽど面白い。

「モナリザ」はなんだか不思議な絵で見てると、「私は知ってるんだからね!!」といった感じで話しかけてくる奇妙な感覚にとらわれる。まあ、私だけだと思うが。
もうちょっとパリの日記を書きます。
日本に戻るときにシャルル・ド・ゴールで乗換えなのだが、よく考えたら朝からパリに行ってエールフランスの23:25の成田行きでかえると12時間ぐらいのパリ見学が楽しめるので実行に移す。それに前回のように乗り換えダッシュをしなくてすむし。
10時のフライトに乗り昼前にはシャルル・ド・ゴールに到着。空港から少し離れたパリの中心部に行くためには電車がお勧めと聞いており、RERという国がやっている郊外地下鉄の乗り場へ行く。まずは肩にずっしりと重いノートパソコン入りのかばんをコインロッカーに入れたいのでコインロッカーを探すもみつからない。これを一日持ち歩けというのか?という絶望感にかられながらもさまよい歩くも見つからない。
どうしようもないのであきらめて切符を買うことにするが、この切符が恐ろしい代物だった。あー、思い出すだけで腹立つ!!まず自販機しかない。そして自販機には英語のインストラクションがない。そしてインフォメーションは長蛇の列。ベンチに座って重要な単語を辞書で引いていたらいつの間にか自販機まで長蛇の列になってしまった。列に加わって後ろから観察していると白人の人(国籍不明)がどうやらクレジットカードが認識されないらしくさんざんトライしてとうとうあきらめてどこかに行ってしまった。かと思えばさっくりアジア人が成功してたりする。どうやら確率は半々ぐらいのようだ。

やがて自分の番になる。ドキドキしながら自分のクレジットカードを入れるもどうやらエラー画面のようだ。後ろに並んでいる人に別のカードでやって見ろと言われいろいろやるも全部だめだった。(だめといってもそのエラーメッセージもフランス語で分からないのだが) 結局後ろの人にコインをゲットして来いといわれる。そう、駄目押しとしてこの自販機紙幣が使えないのだ。パリ行きは8ユーロなのでさっそくキオスクに行きミネラルウォーターを買い10ユーロでおつりをコインでと言うとだめだといって5ユーロ紙幣を返そうとする。じゃあ、ミネラルウォーターいらないとキオスクを後にする。仕方がないのでサンドイッチを売っているスタンドで同じようにミネラルウォーターを買っておつりをコインでとお願いするとやっとしぶしぶもらえた。つまり、こういうことだ。
- 自販機だけで窓口が近くにない
- インフォメーションは長蛇の列
- 自販機はフランス語オンリー
- 自販機はクレジットカードを半分の確率でリジェクト
- 自販機は紙幣は受け付けない
これがマイナーな場所だったらしぶしぶなっとく出来るが、相当利用客が多いであろうシャルル・ド・ゴールからパリ市街の経路がこの状態というのが不思議でしようがない。何かの試練なのだと思うことにした。
これまたすごい前の話なのだが…。BLOGっていったん書かなくなると全然書かなくなってしまいますね。結局夏休みで沖縄にいったあと再びフランスのMontpellierに出張でフランスに発つ前の日の夜中にやっとホテルがとれるという悲惨なスタートだったがまあそれは置いといて。
んでフランスの最後の週末も「もう行くところもないしホテルでぐーたらするかな」と思っていたが、一緒に働いているフランス人女性に「週末は何するの?」と聞かれついサービス精神を発揮して「最後だから遠いけどバルセロナに行こうと思っているんだ」と話すと、いろいろとバルセロナでの見所や注意点を教えてもらい、月曜日に「やっぱり行きませんでした」と言うのも嫌な私は日曜日に早起きして出発。どうにかならんかね、この八方美人な性格。
バルセロナまではいつも使っている高速道路のA9を使えば一本なので道は簡単なのだがなにしろ330キロもある。休憩時間と市内に行く時間などを入れたら120キロ巡航で片道4時間といったところ。往復だと8時間だ。少し早起きして出発して高速道路をひた走る。スペインへの国境超えも以前と同じなので感慨もない。高速を降りて標識に従っているとやがてバルセロナの市街地に入っていく。赤信号で止まると7,8人の子供が交差点で待機しており、一斉に車道に入ってきて片っ端から洗剤をつけてフロントガラスを磨き始める。私の車も洗剤をかけられたが、手で「ノーサンキュー」と合図をするとどこかに行ってしまった。後からワイパーで拭くとフロントガラスがピカピカに。ラッキーだけどちょっとあせった。

市街地に着いたので車を通りすがりのパーキングに入れる。それからおもむろに地図で現在地を確認してサクラダ・ファミリアに向かって歩く。言うまでもなくバルセロナはかなりの都会だが日曜日なためかあまり人通りもなかった。あせだくになってサクラダ・ファミリアに到着。昼飯がまだなのでそこら辺にあるレストランにはいってパエリアを注文。うまい!!

いよいよ本日唯一の観光スポットサグラダ・ファミリアに。ちなみにガイドブックには次のようにある。またネスカフェのCMでおなじみの違いの分かる彫刻家が現場主任をしていることでも有名だ。
ガウディの未完の代表作として、バルセロナの象徴として世界に知られる聖堂。着工から120年を経過した今なお建設途中で、現在シンボルとなっている12使徒を表す鐘楼をはじめ、教会全体でキリストの生涯をあらわす。
入場料の8ユーロを払って中に入ってみるとなるほどあちこちに建築資材が置かれており、まだ建設途中であることを思い出させる。あっという間に一回りしてしまった。上に行くエレベーターがあるので当然乗るとしても結構な行列。先頭の人に聞いたら1時間ぐらいとのこと。とはいえ他に予定がないので並ぶことにする。ちなみにメジャーな観光スポットだけあって南フランスでは見かけなかった日本人が結構いてちょっとうれしい。

一人なので1時間はかなり長かった。おかげで列の前のカップルがいかにラブラブかというのはよーく分かったが。上に行くと待っただけあってかなりの眺めだ。隣の鐘楼も水平に見れる。上では鐘楼と鐘楼の間の渡り廊下を歩くのだが柵が結構低くてなかなか怖い。途中で中年女性が恐怖のあまり動けなくなっていた。怖い代わりに上からはいろいろな方向にバルセロナの町を見下ろすことが出来る。ヨーロッパでは景観を守るため4階以上のビルがほとんどないそうだ。そのためそんなに高くない鐘楼からでもさえぎられるものもなく町を見渡すことができた。これが日本だったらニョキニョキと高層ビルが見えるんだろうなー。

塔を降りてお土産屋で少し小物などのおみやげを買って帰路に着く。なかなか高速に乗れなくてバルセロナをうろうろと走り回ってちょっと焦りましたが、また4時間ひた走って夜にはなんとか無事にホテルに戻ることが出来ました。次回は大変な目にあったパリです。
三日目の朝は晴れていた。なぜか民宿の朝ごはんはは早い。確か8時には食べ終わっていた。食後にダイビングに備えてデジカメのハウジングにシリコングリスを慎重に塗っているとR氏から島にある山に景色を見に行こうとの誘い。R氏は何度も通っているだけあって即座に携帯でマイクロバスをチャーターする。山頂からの景色は当然ながら回りは360度全部海なわけでとても美しい。すさんだ心がすこし洗われる。

ダイビングは7年も前にライセンスをとったのにもかかわらずまだ10本の私はいつも「これどうやってつけるんでしたっけ。」状態。穴場的な沖縄の離島に来るだけあって他の人はみんな慣れた感じで素人感ゼロである。しかも直前になってR氏からボートから海に入るのはバックロール・エントリーであることを告げられる。前にやった唯一のボートダイブはジャイアントスイング・エントリーといってまあぶっちゃけえいって飛び込むだけなのだが、バックロール・エントリーといったら重いタンクを背負ってボートのふちに腰掛けて後ろ向きに回転しながらはいるアレである。玄人向けのショップだけあってバックロール・エントリーのやり方はおろかバックロール・エントリーで入ることさえ告げられない。常識なのだろうか?

が、バックロール・エントリーはやってみたらなんてことはなかった。多分一番大切なのは下に人がいないのを確認することだろう。で、海底にはいろんな魚がいて懸命にデジカメで動画を撮る。私のはCanonのPowerShot S1 ISなのだがこいつは素晴らしいことにVGA30フレームの動画がCFの容量の続くかぎり無制限でとれる。しかし、やっぱりライトがないと色が青っぽくなっていまいちなことを再認識。次はライトを持ってきたいなー。ダイビング機材をなにも持っていない私は最低限の機材を買うのが先なのだが。
夕方になっても晴れているので予定通りみんなで夕日が沈むのを見に行く。よく本などでアフリカの太陽を見て私はあのときに人生観が変わったなどと書いてあるのを見る。この綺麗な座間味の夕焼けを見て人生観を変えたい私は期待が膨らむ。しかし一口に夕日と言ってもずっと見ていると次々と色や雰囲気がめまぐるしく変化しいろいろな美しさを見せることに気付く。その中でも下のはお気に入りの一枚っす。

やがてオリオンビールで乾杯してると辺りは暗くなり帰ろうとしたら、乗ってきたバスのバッテリーが上がっていた。携帯の電波もほとんどはいらないので運転手のおじさんは山の頂上で携帯を持ち上げて通信。それにしても不謹慎なんだけど人間ってなんでこういうときちょっとワクワクするんでしょうか?やがて迎えに来た車でひっぱって押しがけして帰る。でもいくら綺麗な夕日でも人生観は変わりませんでした。
夜は、島の居酒屋でR氏の友人で船の渡しの船頭さんたちと飲む。観光客が魚に餌をあたえるのが良くないとか美しい自然も少しづつ壊れているとか地元の人ならではの話に耳を傾ける。いい感じで泡盛を飲んでいると話はやがて一緒に住んでいる父親が頑固で困っている話になり、さらに酒が進むとほとんど下ネタに。この変貌振りにはかなり私のツボにはまりこの人たちが大好きになってしまいました。最後は恒例のダイビングショップで1時ぐらいまで飲んで座間味最後の夜は終わってしまいました。
翌日起きると、どんよりと曇ってしとしとと雨が降っていた。はるばる沖縄まで来たのにである。今日は那覇から高速船に乗って目的地の座間味島に行く予定だ。高速船は予定通り運航するとのことなのでタクシーに分乗して港に向かう。車の中でも激しい雨が降り続いており運転手さんも「今日は一日雨だよー」と悲しいことを言っていた。それでも座間味島に船が着くころには曇ったままだがなんとか雨は上がっていた。島に着くと早速宿の「米子」に。「米子」は家族経営の素朴な民宿なのが詳しくはまた後ほど。天気が少しましになってきたので近所で食事をして水着に着替えて近くの無人島に行き、シュノーケリングに挑戦。以前から聞かされていたが本当に美しい海だった。日本にもこんなところがまだ残っているのかとひとしきり感動。
田舎が瀬戸内の町だったので子供のころからよく素潜りをしていたが初めてフィンをはいての素潜りは初めて。が、フィンをはくと面白いように潜れることが発覚。今までの素潜り人生はなんだったのだろうと思うとちょっとむなしくなる。それにしてもR氏のもぐりっぷりはすごくて水深15mぐらいまでぐいぐい潜っていく。よく息がもつと関心する。ちなみに下の写真はR氏がとってくれた私の素潜りショット。

またこの日のために急遽購入したデジカメの防水ハウジングを使って水中写真の撮影に挑戦。海の中はどうしても青い光しかとれないのでフラッシュをたいたりライトで照らさないかぎり青っぽくなってしまうのがちょっと残念。とはいえ虎の子のデジカメが水没しなかっただけよしとしよう。他の人が休憩するなか一人で海で遊んでいると、見知らぬ人に水中でシャッターを押したお礼に魚をよせるソーセージをもらう。言葉は通じないが「シャッターどうもです。これ余ったんでよかったらどうぞ」というのが分かった。多分、フランスでずっと言葉なしのコミュニケーションにはげんでいたせいだろう。そのもらったソーセージだが水中に放すと恐ろしいほどの魚が群れてくる。しかもうかうかしていると指をがぶりとかまれる。ヒッチコックの「鳥」を思い出さずにはいられない。この映画は見たことはないが…

そのうちまた雨が降ってきたのでまた船に乗って宿に戻る。シャワーを浴びてから早めの夕食。この宿、「米子」というネーミングに少し疑問をもっていたが夕食時にあっさり解明。というのも食事を運んでくれたおばちゃんが奥のおばあさんに向かって「米ちゃん味噌汁がひとつ足りないよ!!」というのを聞いたからである。そう、おばあさんの名前の米子をそのまま民宿名にしている。なんてストレートなんでしょう!!ちなみにここの夕食はおいしいのだけど量がしゃれにならないくらい多い。いつもメインディッシュが二つも三つもある。(例:トンカツ+煮魚+刺身)
夕食後は、フランスで買ってきたワインを近所のイタリアンに持ち込んでプチ宴会。出張先の地元のワインを買ってきたもののR氏に「これボルドーだよ」と指摘され少しがっかり。まあ美味しかったので良しとする。2次会は翌日お世話になるダイビングショップで飲む。なぜかこのダイビングショップは店の前の大きなテーブルで毎晩宴会をやっているようで、翌日お世話になるインストラクターと一緒に泡盛の水割りを頂く。こうして長かった座間味の最初の夜は更けて行きました。(つづく)
遅れた夏休みで沖縄旅行へ。以前一緒に仕事をしたプロジェクト・マネージャー(以降R氏と書きます)が座間味という島にほれ込んでおり一緒に連れて行ってもらうことに。とはいえ以前書いたように一人だけバーゲンチケットが取れなかったので一日早く沖縄に行き一人で遊ぶはめになってしまった。幹事のR氏に予約してもらったホテルは那覇の歓楽街の国際通りにあり夕方到着したので軽くぶらぶらして名物のソーキそばを食べて寝る。

が、時差ぼけで全然寝れない。とはいえ翌日もホテルでぐーたらするのももったいないので出かける。初めての沖縄なので南の方のひめゆりの塔に行くことにする。レンタカーを借りるのが面倒なのでバスで行こうとするがこれが失敗だった。バスは接続も悪く便も少ないので乗り換えポイントの糸満市のさびれた誰もいないバスターミナルに置き去りになってしまった。待ち構えていたタクシーの運転手が、最南端の岬、ひめゆりの塔、平和記念資料館、旧海軍の地下壕を回って那覇のホテルまで送ってくれて7,000円と持ちかけてきたので、バスにうんざりした私は即答でお願いする。
このときから運転手のおじさんとの小旅行になってしまった。年配の人なのでこっちは客とはいえそれなりに気を使う必要があったが、地元の人ならではのいろいろな情報を聞くことが出来た。このおじさん携帯が鳴るたびに誰かとしゃべるのだが方言のせいでちっとも何を言ってるのか分からない。それでも最近の若者は方言を話さなくなってきているので、このおじさんも奥さんと子供で使いわけてるそうだ。
おじさんに連れられて太平洋戦争で唯一の地上戦となった沖縄の惨状を次々と見るにつれてすっかり観光気分が無くなってしまった。しかし日本人として一度は訪れるべきだと思う。戦争が終わった後も大量の米軍基地が残されたままで、その規模と任務の大きさか基地がなくなることはないだろうと運転手さんが言っていたのが印象的だった。
昼飯を食べ損ねたので、オリオンビール(定番)を飲みながらタコライス(定番)を食べてると夕方になり他のメンバーも次々と到着。さっそく一行で定番の首里城に行く。首里城で石垣に登って係りのお姉さんに怒られた後は近くの郷土料理の店、「いろは庭」にて夜の宴会。すでに東京でも定番となりつつ豆腐ようを始めとしていろいろとめずらしい料理を食べるも、最後に出てきた海蛇のスープのインパクトが強烈で他のはすっかりかすんでしまった。恐る恐るかじってみた海蛇はなんというか”いりこ”のような味でした。健康にはいいんだろうけど…(つづく)

もはやかなり前の話ですが少しずつ…。
夜の8時55分に出発のパリ行きの飛行機だが、8時55分になっても搭乗の案内もない。シャルル・ド・ゴールでの乗り換え時間は1時間しかないのにである。つまり30分遅れたら乗換えが30分になるわけで…。それでもまんじりともせず待っているとやっと30分遅れで出発する。シャルル・ド・ゴール空港に到着するといつもは他の乗客が出てからまったりと飛行機を降りるのに今日はあらかじめスタンバイしておりマラソンのスタート状態。あせる気持ちを抑えつつ飛行機をでるとショックなことに搭乗口につながっておらず。まったりとバスが待機している。
脱力してタラップを降りているといくつかの都市名を書いたカードを持って立っている人がいてみるとその中にはTOKYOの文字も。もちろん自分を指差し「TOKYO, TOKYO」と連呼。それにしてももうちょっとましな英語が使えないものでしょうか?
乗換えがやばいほかの3人とともに案内のミニバンに乗ると国際線のターミナルにまっしぐら。その後、係員の誘導で手荷物検査、出国審査をそれぞれ専用のゲートにて瞬時にコンプリートして気づいたら日本人がいっぱいいる成田行きの搭乗口に到着。こんな大量の日本人を見たのは久しぶりなのでかなり感動しました。あと帰ってきた日に飲み会があったんだけど残念ながらこちらのフライトも遅れて行けませんでした。
土曜日に日本に帰る訳だが、ふと帰りのチケットを見ると現地のMontpellier発が20:55とある。あー!!ちゃんとチェックして変えてもらえばよかった。なにせーちゅうねん!!とはいえ昼ぐらいまでにはホテルはチェックアウトしないといけないので11時ぐらいに出発し、近場でまだ行っていない世界遺産の水道橋Pont Du Gard(ポン・デュ・ガール)に向かう。最後なのでのんびりと地道で南仏の田舎町のドライブを楽しむ。大体田舎道は並木道になっていて道の両側に立派な木がありなんだかトンネルの中を走っているような感じなわけだが、考えたらわざわざこんな田舎道の両側に大きな木を植えているわけで。恐るべしフランス人と思いながら走る。
途中、昼飯にショッピングモールに立ち寄りマックを食べようとして店に入ると案の定長蛇の列。しかも日本よりも明らかにトランザクション・レートが低い。マックなんて食べなくてもおいしいものいっぱいあるのになんであんなに人気あるんだろう?ともかく3分しか我慢できずにスーパーの中の軽食コーナーに直行してパンとピザとダイエット・コーラを食べる。ユーロとかなり安いのだが味もそれなりだなー。まぁ日本のスーパーの軽食コーナーもこんな感じだが。あ、でもみんなワインごくごくいってます。
程なく、Pond Du Gardに付く。ガイドブックには、
今から2000年以上も前に建造された巨大な石の橋。アヴィニョンとニームの間のガルドン川にかかっており、全長50kmあったといわれている。ユゼス付近の水源とニームの町の高度差はわずか17mといわれ、それに微妙な傾斜をつけるという驚異的な技術で水を流していた。
とあり、写真のキャプションにはニーム方向への傾斜は見た目には分からないとある。うーん、どうもニーム川に傾いている気がするけどなー。ていうか傾いてるよ。と思いつつ適当に写真をとる。川ではボート遊びをしていたり水遊びをしている子供がいてかなりのどかな感じ。

これで少し時間がつぶれたがまだ6時間ぐらいあるので、前に行けなかったカルフールに行く。今までフランス人は大型スーパーでかったりせず今でも昔ながらの小さな店で買っているのかと思っていたが、大きな間違いだったことに気づく。パソコンなどの電気製品、日曜工具なのどの生活用品、洋服、もちろん食品とすごい充実振りでしかも店は大賑わいでみんな大きなカートに入れてじゃんじゃん買ってました。ここではおみやげのワインを買う。しかしお土産袋は小さなトートだけなので2本が限界かなーと思っていると10ユーロですてきなキャスターバッグが売ってるじゃないですか!このキャスターバッグを買って強気になって3本購入。このキャスターバッグ10ユーロのわりになかなかよく出来ていて、これって今回の出張で一番有意義なお金の使い方の気がする。

というわけで空港のロビーでこの日記をしこしこ書いています。まあ、更新するのは日本に帰ってからなんだけど。さっき英語のアナウンスで〜delayed〜という単語が聞こえたので気になってカウンターに行ってみるとフランス語オンリーでなんか書いてある。まあ私の英語なんてこんなもんですわ。が、この後大変なことに…。
地元の人にはバルセロナへの旅行を勧められたがちょっと遠いというと国境近くのFigueras(フィゲラス)という町を薦められる。ダリの作品が観れるダリ美術館があるとのこと。Webで調べて知らない人のスペイン旅行記などを読んでいると面白そう。というわけで日曜日はちょっと遠いけどフィゲラスに行くことにする。11時ごろにまったりと出発。さすがにハイウェイはもうあまり混んでおらずすいすいと進む。2時間ほど走るとやがてフランス最後のパーキングなどと言う標識が見え始める。その後料金所かなーと思って列にならんでいると、普通機会からチケットをとるのだがそれすらもなく係員はいるもののみんなすいすい通っていく。国境だった。
少し走ってから目的の出口でハイウェイを降りる。係員にお金を払おうとして、自分がスペイン語で「こんにちは」も「ありがとう」も知らないことに気づく。ま、いっか。しかも美術館の場所はフィゲラスという町にあるということしか知らないよー。ともあれ町の中心に向かうと標識を見つけたのですかさず曲がる。と目の前はWebで観たダリ美術館だった。これは間違えようがないです。

さっそく見学といいたいところだが、もう2時なのでお昼を食べることにする。美術館の前にちょうど観光客目当てのレストランがあるのでやや怪しいが安直にそこにしてせっかくとばかりパエリアを頼む。繊細な味ではないが具がボリュームたっぷりの肉とか海老など豪華な直球勝負なのでうまい!!
さて、お腹いっぱいになったところでおもむろに美術館に入る。9ユーロなり。美術館という堅苦しい感じはなくあまり芸術に縁のない私でも思いっきり楽しめました。お勧めです!!

美術館を出ると少し雨が降っていた。晴れてこそのスペインなので思わずそのまま来た道を帰ろうかと思ったが、予定通り田舎の港町に向かう。目的地に着いて見るとどうやらここは避暑地らしく別荘のような建物が立ち並んでおりどことなく熱海っぽい感じ。とりあえず海辺にいってみると、これまた熱海っぽい小さなビーチで地元の人がくつろいでる。この時点で5時くらいともう遅いのでとっとと帰ろうと海沿いの道を北上する。途中の道はかなりの絶景で、車を停めて写真→ちょっと走る→車を停めて写真とやってるとかなり疲れてきた。おまけに道は曲がりくねっていて結構車幅も細い。こんなところで事故したら想像不可能なほどやっかいなことになるので慎重に運転する。やがて国境を越えフランスに入る。今度の国境は無人でした。

そのまま海沿いの道を走っていると絵に描いたようなヨットハーバーがあるので、またまた車を停めて写真撮影。となりでなにやら日本のお祭りみたいなのがあるので覗いてみると、風船釣り(のようなもの)や豪華なライフルがずらーと並んだ射的、メリーゴーランド、UFOキャッチャーなどがありちょっと楽しげな感じ。その後さらに北上して、ハイウェイに乗り帰ったが途中道を間違えたりしてホテルに着いたのは夜の10時でした。はぁー、疲れた。

なんでかさっぱり分からんがフランスではマニュアルの車が主流で、女性でも普通にマニュアルの車を運転している(もっともこれはヨーロッパ全体の話らしい)。会社の帰りに結構坂道があるのだが、この坂道でどの車もちょっと下がってから発進するのでほとんどの車がマニュアル車とういうことが分かる。なので当然レンタカーもほとんどマニュアル車でオートマ車はほとんどないようだ。とはいえ知らない土地でいきなり左ハンドルのマニュアル車は危険なので最初は割高なオートマ車を予約して使っていたのだが、レンタル期間の一ヶ月が過ぎたのを機に日本で予約したオートマ車をキャンセルしてマニュアル車を借りることにする。借りたのは青のプジョー307だ。

当然ながら左ハンドルなので、左手でハンドルを操作しつつ右手でギアを操作する。そのため右ハンドルのマニュアル車の運転と左右まったく逆になり、右手でやってたことを左手が、そして左手がやってたことを右手がやる必要がある。この点は海外で運転する場合、右ハンドルでも左ハンドルでもウインカーの位置ぐらいしかかわらにオートマ車とは決定的に異なると思う。最初は利き手でない左手だけでハンドルを操作するのにかなり危険を感じた。それを右手のぎこちないシフト操作がダメ押しする。しかもあせったときに1速から2速に入れるときに左手が存在しないシフトレバーを求めて宙を舞う。ちなみに1速が左なのは右ハンドルと同じ。
とはいえ当然ながらすでに道は熟知してるので運転に集中でき、なんとか事故を起こすこともなく慣れることが出来た。いまだに手間取るのは右左折のときに曲がる前に減速してスムーズに3速から2速に落とすところぐらいだ。もっともこれをスムーズにやるのは右ハンドルでもなかなか難しく、初心者のころははクラッチをきったまま3速で曲がったあとに2速にして加速してたりした。
ところでこの車ディーゼルのせいかやたらと低速トルクがありなかなか新鮮なフィーリングだ。特に低回転からの2速での立ち上がりはなかなかうっとりさせるものがある。「うーん、日本にかえったら買おうかなぁ。コンパクトだし」などと少しよぎってしまうくらいだ。もっとも日本で買うと確実にガソリン車だが。
あと車での音楽。いつも地元のラジオ局を聞いてるんだけどたまには自分のお気に入りも聞きたいなー。などと思っていたのだが、今日ふと「PCに入っているMP3をWAVに復号化してCD-Rに焼けば車で聞けるじゃん!!」という当たり前のことにやっと気づいた。というわけで早速ホテルの近くのPCショップでCD-Rを5枚だけバラ売りしてもらう。そんでもって焼いたCDを車で聞くのに成功!!
まあ、そんなこんなで今日は昼過ぎまで仕事をして、夕方からは初めてプジョーでお出かけで近くのビーチに行きました。こっちは9時ぐらいまで明るく7時半ぐらいまでいたのにまだ結構人がいた。でも聞くところによると多くの人は今週末でバケーションが終わりとのこと。別にバケーションをとっていない私も去り行く夏を思い少し感慨に浸ってしまいました。

うーん、小型PCマニアとしてはちょっと興味あります。この写真によるとどうやらCPUはファンレスでフロントと背面にファンが2つ。あと、多分電源にも1つあるんんでしょう。確かに発熱パーツが風の通り道に配置されているのでいい感じ。
しかし、どう見ても搭載可能なHDDは1つだけっぽい。2つだったらサーバーに使えるのに。ともあれぜひ一度、動作音を確認してみたいと思いました。
次に行ったのが、Saint-Remy-de-Provence(サンレミ・ドゥ・プロヴァンス)という田舎町。こちらも手持ちのガイドブックには1ページだけで中心部の地図も載っていないのにもかかわらずFIGARO Japonには6ページも割かれている。曰く、
旧市街もあれば、小さなパリもある、趣たっぷりのエレガントな町歩き。
とのことでなんでも女性たちを夢中にさせるものがいっぱいあるらしい。ちなみに紹介されている店は、テーブルグッズの店、エレガントな陶器の店、有機農法のアロマ専門店、南仏の田舎をイメージした雑貨店、テイスティングの出来るオリーブオイルの店、フランスで脚光を浴びるチョコレート店、文献を掘り起こして昔のお菓子を作っている店、宝石のような輝きを放つフルーツの砂糖漬けの店などなど男の私にはあまり縁のなさそうな店ばかり。
とはいえまだ帰るのにも早いのでともかく北に向かってこの町を目指すことにする。それにしてもフランスの標識は良く出来ていると思う。駅の売店で買ったアバウトな地図と標識を頼りに適当に走ってると目的の町に到着した。適当に広場の前の駐車場に車をとめ、よく分からないままに自販機で切符を買い運転席のところにおいておく。何の確信もないが多分これであっていると思う。さてここが目的地のサンレミ・ドゥ・プロヴァンスなのはFIGARO Japonの写真とまったく同じ景色を見つけたので間違いない。ついでに同じ場所で写真を撮っておいた。

ともかく疲れたので広場の前のカフェで大好物のダイエットコークを飲みながらFIGARO Japonの地図を見る。が、現在位置がどうもよく分からない。常日頃から思っているのだがおしゃれな雑誌の地図はおしゃれに書いてあるがゆえに分かりにくい。店員に現在場所を聞く勇気もないのでよく分からないままに適当に人の多い方を目指してぶらぶらしてみる。そういえばここはゴッホが住んだ町らしくそれらしい博物館やパネルが街にところどころある。もちろん、おしゃれな家具の店、食器の店、雑貨の店等がいろいろある。うーん、好きな人にはたまらないんだろうなー。「猫に小判」ということわざを思い出さずにはいられない。

とはいえ私は一回りすると飽きたので軒下で売っているアイスを買うことに。2つのボールのやつにしてバニラと名産のラベンダーを指定するもどうしてもラベンダーが通じない。じゃあと仕方がないのでバニラとモカにして噴水に腰掛けて食べる。なぜかモカは一発で通じたしモカもなかなかおいしかった。
というわけで要するにまあなんというかお台場のヴィーナス・フォートみたいなとこでした。それにしてもこれだけ雑誌で取り上げられているのに日本人は一人も見かけませんでした。やっぱこんな南仏の田舎まではなかなか来ないのだろうか?ちなみに次の週末は仕事でなければワイナリーを訪ねる予定です。(あー、似合わねー)
南仏に出張ということで友達(女子)に「南仏プロヴァンスの夏休み。」というFIGARO Japonという雑誌をもらって持って来ている。どうもです>E嬢。明らかに女性向けの雑誌でちょっと読んで「近くのスポットはないだろうなー」と勝手に思っていたが、土地勘が付いてきた最近見ると近いところがいくつかあるじゃないですか!!というわけで日曜日はプロヴァンス小旅行に出かける。
最初のスポットはLes Baux-de-Provence(レ・ボー・ドゥ・プロヴァンス)だ。日本から持ってきたガイドブックによると半ページだけ載っていて「詩人のミストラルが、鷲の一族と呼んで武勇を称えたレ・ボー一族は、この岩山の頂点に難攻不落の城西を構え、この地方の文化の中心として栄えた。やがて幾多の政争を経て、ルイ13世の時代に城塞はほうかいした。今日、この廃墟からは、アルルなどのプロヴァンスの風景が一望できる。」などとありなかなか旅愁を誘うところのようだ。
しかし4ページも割いているFIGARO Japonには「伝説の岩山をひと巡りしたら、谷間のむらではおいしい料理に舌鼓。」などある。もちろんフィーチャーされている店はいずれも、おしゃれなアート・カフェ?やオリジナル生地のテーブルクロスや絶品のオリーブオイルの店などだ。ともかく、10時半という驚異的に早くに出発してハイウェイを乗り継ぎアルルを通り過ぎ北上してLes Bauxを目指す。近づくにつれなるほど多くの岩山が目立ってくる。

2時間ぐらいで要塞のふもとに到着。ここからは歩いて登るしかないようだ。といっても10分もあるけば到着する。運動不足の私にはまあいい運動だろう。私にとってはいい運動だが、この要塞を攻略するのはほとんど不可能ではないかと思う。

登ってみると要塞の中に小さな村があるのが分かる。おみやげ物の店、名産の生地で作ったテーブルクロスを売る店、簡単な飲み物を出すカフェ、レストランなどがひしめいている。ちょうどお昼なのでレストランを探すが、どこも混んでいる。FIGARO Japonに載っていたアート・カフェも満員だった。そもそも一人の客は店としてはあまり喜べない客なので、一人のときは少しすいている店がちょうどいい。そういうわけでちょっと外れたところにいい感じのレストランを見つけて入る。出迎えてくれた女主人は、私がフランス後がさっぱりなのを悟ると料理をしている旦那を呼び出す。旦那は自分の仕事でもないのに英語でオーダーをとってくれたり超親切だったが、奥さんに尻にしかれて頭があがらないのだろう(もちろん勝手な憶測)。ここでは地元の4種類のチーズが入っているサラダをチョイス。こっちでは大きいサラダが主食にもなるようでおいしい上になかなかお腹もいっぱいになる。

食後、お土産などを買いながらぶらぶらしてるうちに欲しかったアイテムのワインオープナーを発見!!こっちにきて気になっていたのがレストランの店員が使いこなしているワインオープナーで、普通のと違って2段階にてこの原理を使って立ったままテーブルを使わずにスマートにあけれるやつで勝手にダブルアクションタイプと命名している。もちろんさっそく購入。15ユーロなり。ホテルに帰って試してみましたがちゃんと空きました。うーん、一番の収穫がこれかよ。このあともう一箇所行くんだけど続きはまた次回。

日本から持ってきた本も帰りの飛行機のために温存している1冊を残してすべて読みつくした今、食事以外の楽しみといえば日本のテレビだ。幸いなことに横浜の自宅のサーバー、録画PCとも順調に動いておりフランスにいながら「世界の中心で愛を叫ぶ」などを毎週見ることが出来る。
こんな海外にいる人に日本のテレビを提供するビジネスをしているのが「録画ネット」だ。しかし、この会社、テレビ局にサービス中止の仮処分申請をされているようだ。詳しくはTV業界の主張は誰を幸せにする? にある。個人の機器を預かっているだけだから法律的にはセーフなんだろうけど…。うまいこと考えましたなー。
個人でやりたい人は他にもシャープのガリレオなどがお勧め。停止した場合の精神的ショックを考えると私のようなパソコン型はあまりお勧めではない。
ともかく毎日日本人とチャットしたりしてるとどうも海外にいる気分が減ってくるのは気のせいではないと思う。インターネットは確実に世界を狭くしていると感じる今日この頃。
日曜日は、いつものように朝からコインランドリーに行く。いきつけ(?)の店は清潔で気に入っているのだがいつも客がほとんどいない。が、今日はめずらしく3,4人いる。店に入ると「ボンジュール」などと挨拶をされドキドキしながら「ボンジュール」と返す。まだ慣れていない。
おもむろに洗濯をしようとするとおばあさんが話しかけてきて英語で「30分して洗濯が終わったら私が乾燥機に移してあげるから1時間暇つぶしてこい」などと言う。お言葉にあまえて近所の公園にいきベンチで本を読んで暇をつぶす。1時間後「あんな洗濯物なんてとらないだろうけどなくなったらすげー困るなー」などと考えながら店に戻るとちょうど乾燥機に入れてるところだった。乾燥するまで待っているとおばあさんは自分の洗濯物を丁寧にたたみはじめた。
むーん、この人の前で無造作に袋につめるのは後ろめたいなー。と思ってるとやがて乾燥も完了してしまった。小心者なのでいつもは袋に詰め込んでとっとと帰るところを簡単にたたむことに。するとやはりおばあさんがやってきてフランス語で「そんなんじゃだめだ!!」みたいにダメだし。そして見てる前でおばあさんは私の洗濯物を全部綺麗にたたんでくれました。途中、「これじゃ私はあなたのお母さんみたいね」(超訳)などと言ってました。いやなこともあるけどいいこともあると思った一日でした。
これで今更ながら100エントリーです。すぐに飽きてやめるかと思いきや意外に続くもんですなー。
今週は日本人の人と一緒なので土曜日は一緒に観光にいくことに。前の晩に行き先を決めることしてたのだが、飲みすぎであまり議論もせず近場のカルカッソンヌに決定。私の希望で11時出発にしてもらったのにもかかわらず出発直前になって部屋のセキュリティーボックスがあかずに苦労したり、初めての給油で手間取ったりして結局モンペリエを離れたのは12時ぐらいになってしまった。
ハイウェイにのって南西へ向かう。ハイウェイの上は自転車を屋根に積んだり、ヨットを載せた台車を引いている車などでごった返しておりときどき軽い渋滞があったもののまあ快調に流れる。天気も笑うほどよく本当に雲ひとつなく遠くまで澄み満っていてずっとワインのブドウ畑と赤い屋根の農家がまさに南仏という感じを強調させる。途中パーキングで写真を撮ろうとしてファインダーを覗き「CFカードがありません」とのメッセージを発見して今日一日写真が撮れないことを悟り軽く落ち込む。
気を取り直してラ・シテという古城がある場所に向かう。どうやら有名な観光スポットらしくかなりにぎわっている。込み合った駐車場、道の両側にならんだみやげものや、そして簡単なレストランなど日本の観光地になんとなく似ている。驚いたのは男の子なら幼い頃に必ず心惹かれたおもちゃの刀が日本の場合だと日本刀なのだがこっちはなんというかドラクエの”銅の剣”とかになっている点だ。他にもおもちゃの甲冑セットもあった。
城下町の中で昼ご飯に地元の郷土料理を出す店に行く。ここでは、豆の煮込みにソーセージが入った料理を食べる。スープが結構いけるので豆料理はそんなに好きではないのだが結構いけたがまた食べたいかというとそんなことはない感じ。そんでもって古城の中は有料でフランス語のガイド付で1時間コースなのでもちろんパス。まあ、英語のガイドでもパスだが。近くにある古い教会を見に行く。ステンドグラスが綺麗で世界最古のパイプオルガンらしきものを見てカルカッソンヌの町に移動。「あー、フランスに永住してこんな田舎でのんびり過ごしたいのぅ。」と思わされてしまう素朴な町でした。夕方になる鐘の音が最高!!
帰りは高速代の10ユーロけちってのんびり地道で帰ったけどけっこう疲れました。途中、地中海を丘の上から見ることができてなかなかでした。
いきなり週末勤務。そもそも外国にいるので週末気分などあんまりないのでだんだんと毎日働くのが普通な気がしてくる。しかし通勤も楽だし気候もいいので意外に苦にならない。そもそも観光にあんまり興味がないからかも知れないけど。
フランスでは法律で週35時間労働と決められているらしいが、ここの人は40時間働く代わりにバケーションを長めにとるらしい。バケーションはだいたい5週間くらいらしいが今は真最中で食堂にもほとんど人がいない。そういえば先月末もバケーションに入る人に「次はいつ来るの?」と聞いたら「9月の始め」と言う答えが返ってきた。アンビリーバブル!!
あー、せめて今週末は休みたいなー。
土曜日に海まで行って寝て起きると当然ながらまだ日曜なわけで。にもかかわらず時差のせいか毎日7時には目が覚めてしまう。いつものように駅前のサンドイッチ屋にサンドイッチを買いにいくが今日はちょっと違う店でカマンベールサンドにしてみた。普通サンドイッチと言うと耳を落とした食パンにはさまっているが、こっちではフランスパンにはさまっているのをサンドイッチと言うらしい。だいたい2ユーロか3ユーロだ。サンドイッチを食べてうだうだしてもまだ10時でルームクリーニングが近づくにつれどこかに行かねばと焦燥感にかられる。な訳でこれまた親切なフランス人のすすめるままに50キロほど離れたニームという街に向かうことにする。持ってきたガイドブックによると、今いるモンペリエはランドック地方だがニームはプロヴァンス地方らしい。プロヴァンス!!うーんいかにも南仏の響きがする。プロバンスでなくプロヴァンス。などとくだらないことを考えつつ出発する。

混むかもしれないからハイウェイより地道がいいとのことなので地道で向かう。地道といっても100キロくらいでスイスイ流れている。今度日本の渋滞がどのようなものかフランス人に見せる必要があるなー。まあ、そんなこんなでニームに到着。途中にカルフールがあったのでわざわざ寄って撮っておいた。がなんと休みだった。ガイドブックには日曜はたいていの店は休みとあるがこんなでかいスーパーまで休みとはなんてすばらしい国なんでしょう!!

適当に走っているといきなり目的のコロシアムが現れるので適当に近くの有料駐車場にとめる。昨日の教訓を生かしてしっかりと駐車場の場所を覚える。駐車場を出るとちょうどそこは公園で小さな売店とちょっとしたテーブルがあったので、ちょうどお昼だしそこでまたまたサンドイッチを買って食べつつニームの地図のチェック。となりには20歳くらいのフランス人の男の子がいて俺が店を出るときに「日本から来たのか?」「うん、そう。では」などと簡単な会話する。彼はなにをするわけでもなくコーヒー一杯でねばっているようだ。優雅よのう。
コロシアムは4ユーロくらいの入場料をとられた。選手が入場する入り口からコロシアム内部を望み映画「グラディエーター」を思い出す。その後、ひいひい言いながら上まで登るもまったく柵はない。自己責任というやつか?

私はそんなに遺跡好きでもないのでもうお腹一杯なのだがまだ30分くらいしか観光してないのでいきなり帰る訳にもいかず、保存状態のいいといわれている神殿メゾン・カレを見に行く。近くにいくとうわーふるーって感じ。紀元前5世紀だから2500年前か。そりゃ、古いわなどと思いながら写真をとる。中に入るもこれは無料だった。なんでコロシアムや神殿があるかというとここは昔ローマ帝国に支配されてたからだそうだ。難しいことはよく分からんが…

他にも噴水を見たりするが炎天下歩き回りすっかりへとへと。アイスを食べながらやっと最初の公園までもどってくる。ふと見ると芝生でみんな寝転がっているので早速参加。となりの人はお腹まるだしで熟睡してた。暇なやつよのーと思いつつ良く見てみるとさっき話した男の子だった。「あんた一回しかない人生それでいいのか!」と小一時間問い詰めたくなったがフランス語も話せないのでやめておいた。ま、そんなこんなで5時にはホテルに戻って来ていい感じの日曜でした。
土曜日は朝からコインランドリーに行って、sechageが乾燥とかちまちま辞書を引きながらなんとか一週間分の洗濯をする。ホテルのクリーニングは靴下1つ3ユーロという劇高ぶりでいくら経費といえどとても使う気がしない。まあ洗濯なんていくらてこづっても午前中で終わる訳で、ホテルにいてもインターネットもできるわけではなくテレビもフランス語で劇暇なわけで。
なわけで現地のフランス人に海の行き方を教えてもらったので海水浴に行くことにする。さっそく半ズボンに着替えて出発。その親切なフランス人によると今日は1年で一番混む日らしい。ちなみにこのフランス人めちゃ親切で地図やパンフレットを何冊ももらった上、紙に書きながら詳しい行き方を教えてくれた。しかし道は軽く工事渋滞があったもののすいすい走って小一時間でつく。海沿いの道に大量に車を止めるところがあるのだが、なかなか空いてなくて1キロぐらい走ってやっとみつけて止める。が、これがあとで大変なことに。
早速ビーチにいってホテルのバスタオルをひろげて横になる。周りを見ると家族連れが多い。あと男二人とか日本ではあまりいないパターンも多かったがもちろんゲイなのかは定かではない。外国のビーチというとトップレスの女性ばっかというイメージだが、意外に少なく5人に1人くらいかなー。不思議なもので見慣れてくるとトップレスが普通な気がしてくる。

本を読みながらねそべって3時間ほど焼く。そしまだまだ明るいが時間的には夕方なのでそろそろ帰るかと思い。例の海沿いの道にもどる。が、同じような景色でどこに車を止めたかよくわからなくなっている。あたりをつけて歩くも見つからない。まさか盗まれたのかなどと想像して盗まれた場合の今後の行動を考えるとげんなりしてくる。そうこう歩いているうちに「絶対ここまでは来てないよー」と思いまた引き返す。似ている車を見つけるたびに近寄って中を見るが見覚えのない荷物があるたびにがっくり。まあ最後には見つかったわけだが炎天下歩き回っていい運動になりました。
Montpellierという南仏の町に来てかれこれ1週間になるわけだが泊まっているホテルが街中にあるので歩けばすぐにいろいろと見つかる。しかもだいたい深夜までやっているようだ。だいたいいつも仕事が終わって食事に行くのは9時をまわってからなのだが外はまだ明るく(日没は10時ぐらい)店も全開だし人もいっぱいいてこれから食事という雰囲気。

そんでもってこの一週間に食べた夕食はというと
(日) タイ料理
(月) イタリア料理
(火) 中華料理
(水) フランス料理
(木) フランス料理
(金) イタリア料理
(土) 中華料理
といった感じである。まずイタリア料理だがとくにそんなにおいしいわけではない。がしかし魅力的なのは写真付のメニューがあることだ。基本的にパスタの麺はホカ弁の片隅にあるやつと同じクオリティな訳だがその他はまあいける。例えばカルボナーラの場合、スープはうまいといった感じ。
フランス料理は注文方法が分からないので敬遠していたが、一緒に出張に来ているイギリス人と食事に行っていろいろと教えてもらった。そこいらじゅうにあるレストランはたいていブラッスリーといわれる大衆的なレストランで、だいたいムニュといわれるコースで前菜とメインディッシュそしてデザートがついて15ユーロくらいでワインを飲んで合計で20ユーロぐらい。しかし、メニューに写真がないのでわからない。だいたい前菜もメインディッシュも4つか5つの中から選ぶわけだが1つぐらいは羊のテリーヌとか英語のスペルと同じのがあるのでそれを頼めばまあ外れはないようだ。しかもどれもそれなりにうまい。
一方、昨日食べた中華料理はひさしぶりにはしを使っての食事でうれしかった。が、中華料理もメニューは全部フランス語なので辞書引きまくり。最近は食事に行くときはフランス語の辞書を持っていくようになった。時間はかかるが確実に分かるし。